37歳で米挑戦も即解雇「お前は年を取りすぎ」 長距離移動、飲み物だけで試合へ…過酷すぎた生活
37歳でレッドソックスとマイナー契約を結んだ渡辺俊介氏
ロッテを代表するアンダースローの名投手として活躍した渡辺俊介氏。37歳にして決断した渡米。キャンプ中は何もかもが新鮮でワクワクの連続だった。しかし奮闘むなしく、レッドソックスは開幕前に解雇を決断した。
「アメリカは違うなと感じたのは、年齢とかコンディションとか関係なく、誰に対しても求められる結果が一律で平等なところ。契約で約束されていれば別ですが、それがないとあまり考慮はしてくれない。投手だったら、『今日ちょっと具合悪いから回避する』なんて言っていたら容赦なくクビになっていきますよね。このくらいの実績があるから、待ってあげようとか、少しはあるんでしょうけど、日本ほどはなくて。じゃあそれは数字で証明できているのか、とか。当時は結構、ショックに近いものを受けましたね」
スプリングトレーニングで3試合に登板し、計3イニングで2失点。米球界はドライだと聞いてはいたものの、実際に経験するとやはり衝撃は小さくなかったようだ。「お前は年を取りすぎた、みたいなことを最後は言われました。いや、年齢なんて最初からわかってるだろ、と思いましたけど(笑)」。枠を争ったのは元阪神のクリス・リーソップだった。
さらに驚きだったのは、解雇の際も入念なメディカルチェックがあったことだ。「入団時と変わっているところはないよね、また市場に出すけど、私たちの責任はありませんよね、という感じで、僕も書類にたくさんサインしました。まさに『検品しましたよ』という感じでした」。
次に決まった行先は、アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズ。独立リーグでも最もレベルが高いと言われるリーグだ。過酷と言われるバスの遠征事情は、「乗って寝ているだけだから10時間以上でもさほどきつくはなかった」と事もなげに語る。しかしマイナーや独立リーグの飛行機遠征は、経費削減のために安価な深夜便を利用することが多く過酷だった。「1球団だけヒューストンの方にあって、そこだけ飛行機で移動。夜中の3時くらいに集合してバスで空港に行って、席はエコノミークラス。あれが一番しんどかったですね」。
都会への遠征ではイレギュラーなことも発生する。「ニューヨークの方への遠征では、渋滞にはまることがありました。ある日、先発だったんですけど、7時間くらいで着く予定が9時間近くかかって。「到着して15分後に(プレーボールで)行けるか?」って言われて、さすがに「もうちょっと待てない?」って返しました。頑張って30分だなと。現地に到着する15分前くらいに言われたので、バスの中でストレッチして身体を温めて、ある程度着替えて。今日は飯食う暇もないなと。そのままスポーツドリンクだけ飲んで投げました」。
生活面でも驚き「『何だこいつ』と思ったら無視」
興行としての考え方の違いも、渡辺氏らしい分析をしていた。「こっち(選手)都合じゃないですよね。日本のプロ野球だったらたぶん、試合開始を遅らせるんじゃないかな。もうお客さんも集まってるし、相手も準備できてるから、お前(先発投手)が行けるなら行くぞって。独立リーグだからかもしれないけど、優先順位がどこにあるかということ。イヤなら無理だと言うしかないし、中には、それじゃオレ投げないって言っちゃう選手もいます。逆に『行ける行ける』っていう人もいる。そういう環境に対してどれだけ対応できるかが求められる」。
野球以上に、実生活ではさらなる驚きが待っていた。住んでいた場所は田舎町でアジア人がほとんど住んでおらず、アーミッシュ(移民としてアメリカにやって来た当時の暮らしを維持し、自給自足で生活している人々)が多かった。
初めて入った地元のバーでビールを頼んでもなかなか出てこない。見かねたチームメートがバーテンダーに声をかけてくれて、ようやくビールにありつけた。何度か似たような経験を重ね、原因が服装だと分かった。当初はTシャツにダメージジーンズという服装だったが、襟付きのシャツとスラックスに変更したという。「日本ならそういうことはあまりないですよね。でも彼らは、誰に対しても平等にサービスするなんていう考え方はない。『何だこいつ』と思ったら無視です。アメリカ人の思う“ちゃんとしてそうな格好”にしてみたら、それなりに対応してくれるようになりましたよ」。
現地ではホストファミリーの元に暮らしていたが、人種的な偏見のない家庭で恵まれていた。以前に台湾人の選手を短期で引き受けた経験もあり、日本人が来ると聞いて真っ先に手を挙げたという家庭だ。それでも最初は緊張した。「日本人は特に礼儀正しいと聞いている、と言われたので、最初はめちゃくちゃ礼儀正しくしていましたよ」。
ランカスターでの生活はおおむね楽しめたようだ。「冷たさと温かさと、日本人の感覚からすると両方を感じる機会がありました。僕はランカスターのあたりで関わった人たちは、みんな好きでした。ちょうど良い距離感で。いまだにたまに連絡とったりしていますよ」。もちろん、渡辺氏自身の性格の良さや懐の深さもあってのことだろう。
(伊村弘真 / Hiromasa Imura)