入団会見の言葉を実現 前人未到の偉業、迫った3冠王、世界一…大谷翔平、怒涛の1年

ドジャース・大谷翔平【写真:ロイター】
ドジャース・大谷翔平【写真:ロイター】

第1号までは自己最長期間を要するも…一気にギアをあげていく

 大谷翔平投手のドジャース入団会見が、1年前の12月14日(日本時間15日)に行われた。同9日(同10日)に当時スポーツ史上最高額となる10年総額7億ドル(当時1014億円)で契約を交わしたことを発表。その期待に応えるように、1年目から数々の記録と記憶を生み出してきた。“伝説の1年”を改めて振り返る。

 大谷の入団会見は異例の注目度の中で開かれた。日米メディア関係者約200人が集結し、米スポーツ局「MLBネットワーク」によると、7000万人の視聴者を集めた。大谷は会見にて「まず優勝することを目指しながら、そのところで欠かせなかったと言われる存在にまずはなりたい。そういう期待を込めた契約だと思うので、そこの期待に応えられるように今後も全力で頑張っていきたい」と意気込みを語った。その言葉通り“有言実行”を果たす。

 韓国で行われたパドレスとの開幕シリーズ。第1戦の第2打席で敬愛するダルビッシュ有投手から右前打を放ち、ドジャース移籍後初ヒットを記録した。しかし直後に、専属通訳として公私ともに支えてきた水原一平氏が、大谷の資金を盗用し、違法賭博に関与していたとしてドジャースを解雇された。大谷は潔白だったが、真相が明らかになるまで疑いの目も向けられる中で米国へ戻り、長いシーズンを戦った。

 1号まで自己最長の41打席を要したものの、その後は一気にペースが加速する。5月4日(同5日)のブレーブス戦では8号ソロを放ち、デーブ・ロバーツ監督が持っていた日本生まれ選手の球団記録を更新。得意の6月には月間12本塁打を記録した。26日(同27日)の敵地・ホワイトソックス戦では25号先頭打者弾。球団新記録の10試合連続打点も樹立した。

 7月のオールスターには4年連続4度目の選出を果たした。3回には球宴で自身初となる先制3ラン。MVP受賞とはならなかったが、2021年のオールスター戦での勝利投手と合わせ、史上初となる“勝利投手&HR”を成し遂げた。

マーリンズ戦で50号を放ったドジャース・大谷翔平【写真:荒川祐史】
マーリンズ戦で50号を放ったドジャース・大谷翔平【写真:荒川祐史】

8月にサヨナラ満塁弾で40-40…自身初のPSでは第1戦で3ラン

 打者専念の今季は本塁打だけでなく、オフに重点強化してきた走塁面でも飛躍を遂げた。7月には12盗塁を記録し、これまでの自己最多盗塁数を早くも更新。史上6人目の「40-40」の偉業に近づき、8月23日(同24日)の本拠地レイズ戦では、9回に自身初となるサヨナラアーチを満塁弾、しかも同時に「40-40」を達成する役者ぶりを発揮した。

 大谷が記録を積み重ねる中、ドジャースは投打に故障者が続出。余裕の地区優勝かと思われた中、同地区のパドレスとダイヤモンドバックスが猛追し、一時はゲーム差が2まで縮まった。しかし、苦境を救ったのもまた偉才のバットだった。

「ヒリヒリする9月を過ごしたい」と語ってから3年。メジャー移籍後初めて味わう優勝のプレッシャーを感じさせず打棒を発揮した。極めつけは9月19日(同20日)の敵地マーリンズ戦。自身初の3打席連続本塁打を含む6打数6安打10打点2盗塁の大暴れ。この試合でメジャー史上初の「50-50」に到達し、米メディアからは「史上最高のパフォーマンス」とも形容された。

 本塁打と打点はライバルに大差をつける一方、首位打者は最終戦までもつれる形に。4厘差の2位に終わったが、レギュラーシーズンでは159試合に出場して打率.310、54本塁打、130打点、59盗塁を記録。本塁打と打点の2冠、日本人初の「トリプルスリー」など、空前の偉業ラッシュとなった。

 自身初のポストシーズンでは、パドレスとの地区シリーズ第1戦で同点3ランを放ち、一時は得点圏打率が8割以上と大舞台でも結果を残した。メッツとのリーグ優勝決定シリーズでは、同僚のマックス・マンシー内野手に並ぶシリーズ17出塁を達成。ヤンキースとのワールドシリーズでは第2戦で盗塁を試みた際に左肩を負傷するアクシデントもあったが、痛みを抱えながら最後までリードオフを務め、悲願の世界一を成し遂げた。

 シーズン中には週間MVPを4回、月間MVP(9月)1回、本塁打、打点の“7冠”。老舗スポーツメディア「スポーティング・ニューズ」選出の年間最優秀選手にも選ばれ、選手会選出のナ・リーグ最優秀野手、正力松太郎賞特別賞も受賞した。最も活躍した指名打者(DH)に贈られる「エドガー・マルティネス賞」、そしてナ・リーグMVPを含め驚異の“15冠”。入団会見で語った「期待に応えられるように今後も全力で頑張っていきたい」との言葉を、まさに結果で示した1年だった。

(Full-Count編集部)

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