医師の宣告「手術しないなら、引退して」 難病から復帰も…向き合う“最後の時”

中日・福敬登【写真:栗木一考】
中日・福敬登【写真:栗木一考】

「気持ち悪い感覚でした」…中日・福敬登は2022年に国指定の難病と診断された

 難病と戦いながら、左腕を振っている。中日の福敬登投手は、2022年に国指定の難病との診断を受け、手術を経験した。リハビリ期間をへて、2025年シーズンでプロ10年目。低迷するチームを浮上させる戦力になりたいと思い続ける一方で、「いかに後悔なく終われるのかという段階」と野球人生の最後も考え始めている。

 2015年のドラフト4位で、JR九州から中日に入団。球団のレジェンド・山本昌さんの背番号「34」を受け継いだ。2020年には5勝5敗25ホールド2セーブ、防御率3.55で、最優秀中継ぎのタイトルを獲得。2019年から3年連続50試合以上に登板し、中日のブルペンには欠かせない存在になった。

 2022年7月、左足に違和感を覚えるようになった。マウンド上で急に足が震えたり、つったりした。ただ、プレッシャーゆえの反応としか思わなかった。

 およそ2か月後の9月、バンテリンドームでのヤクルト戦でのことだった。試合前はこれまで通り「何か変だな」と思う程度で、投球自体に支障はなかった。だが、マウンドに上がった後、左足の感覚がだんだん無くなっていった。「最終的に一切消えていました……。自分の足なのに何をしているのか分からない。気持ち悪い感覚でした」。プレーは不可能と判断し、1イニング持たずに途中降板となった。

 首脳陣やトレーナーにどう症状を伝えていいのか分からなかった。「痛いふりすんなよ」「何で自分の事が分からないんだ」と周囲に理解してもらえないこともあった。

 診断結果は「黄色靱帯骨化症」。脊髄の後ろにある黄色靱帯が骨化し、神経を圧迫して足の麻痺などを起こす国指定の難病だと説明された。治るのか、野球は続けられるのか。何もわからない自分に、医師は言った。

「手術しない限り、一生このままです。手術しないなら、引退してください」

 二者択一を唐突に迫られたが、むしろ思考が整理された。「はっきり言ってくれたのがありがたかったです。もし手術しない選択肢があったら、そっちを選んでいたと思う」。この先の長い人生をこのまま過ごすよりも、マウンドに立ち続けられる可能性を選んだ。

半年のリハビリへて2023年5月に1軍復帰、昨季は13試合登板どまり

 10月に手術。リハビリに半年を費やした。家族がそばで支えてくれたからこそ、塞ぎ込みそうになる心を保つことができた。再び1軍マウンドに立つことだけを考えた。

「僕が手術して空いた枠に入った選手を、もう一回引きずり下ろしたい。マウンドにもう一度立ちたいという思いがあったから、ここまでやってこられたと思います」

 2023年5月5日の巨人戦(バンテリンドーム)で復帰登板を迎え、1回を1安打無失点。直後にチームが逆転し、白星が舞い込んだ。その年は29試合に投げ、1勝0敗12ホールド、防御率2.55。昨季は13試合登板にとどまり、6年ぶりにホールドなしに終わった。

 タイトルを獲得したシーズンのような姿には戻れていない。また急に足の感覚が無くなるかもしれない恐怖心は常にある。今年6月で33歳になる。チームでは中堅からベテランの枠に入っていく。だからこそ、腹を決める。

「次、感覚がなくなったらやめようと思っています。歳も歳なので、いかに後悔なく終われるのかという段階だと思います」

 いつ再発するか分からないからこそ、今をやりきりたい。もしその時が来ても、悔いなく「引退します」と言い切れるように、目の前の一日を過ごしていきたい。愛嬌たっぷりで、底抜けに明るい笑顔の奥には、覚悟がある。

(木村竜也 / Tatsuya Kimura)

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