中田翔を見て「レギュラーを諦めた」 22歳で悟った立ち位置…“2軍の帝王”の葛藤

鵜久森淳志さんは2軍出場900試合超「2軍の帝王と言われていましたよね」
2004年ドラフト8巡目で日本ハムに入団した鵜久森淳志さん。14年間のプロ野球生活の末に2018年限りで現役を引退し、現在はソニー生命保険株式会社でライフプランナーとして活躍している。日本ハムで11年、ヤクルトで3年。「正直、よくやったなと。結果が求められる世界なので全然満足していないですけど、やりきったことは満足です」と現役生活を振り返った。
愛媛・済美高時代に高校通算47本塁打のスラッガーとして注目され、プロの門を叩いた。しかし即座に「天と地の差。同じ野球じゃないと思いました」とあまりのレベルの高さに圧倒される。守備では外野フライを捕球しようと守備位置に入るも、遥かに伸びていく。打撃では捉えたと思った打球が前に飛ばない。「元々バッティングしかないのに、全部ダメだなって」。それでも希望に満ち溢れた青年は、上だけを目指した。
徐々に2軍で頭角を現していく。2007年には10本塁打。しかし打っても打っても、なかなか1軍での出番はやってこなかった。若手時代を回顧し「歯がゆかったです。調子がいいときに『なんで今呼んでくれないんだ』って思ったりもしましたよ」と明かす。一方で「(中田)翔も入ってきて陽岱鋼もいて、糸井(嘉男)さんも野手になって、稲葉(篤紀)さんも二岡(智宏)さんもいる。俺どこに入っていくんだろうって……」と葛藤もあった。
鵜久森さんは2軍で通算922試合に出場している。1年勝負の世界でこの数字はかなり稀だ。本塁打も89本を数える。1軍では256試合で11本塁打。「『2軍の帝王』とか言われていましたよね。いい印象ではないですけど『2軍の帝王もみんながなれるわけじゃないぞ』って思ったり。見返してやろうという気持ちはありました」と当時の心境を語った。
浴びた痛烈ヤジ「誰や」「お前じゃねえ、稲葉を見に来たんだ!」
プロ初スタメンで初安打を放った2008年5月10日、左翼の守備に就くと外野スタンドの敵ファンから「お前誰や」と罵声を浴びた。京セラドームでスタメン出場した際には「お前を見に来たんじゃねえ、稲葉を見に来たんだ!」と言われたこともある。数多くの“逆境”も「心は痛いですけど、そういう世界じゃないですか」と常に立ち向かっていった。
プロ5年目だった2009年、2軍77試合で20本塁打を放ったが一度も1軍に上がることはなかった。実はこの年、プロ2年目だった中田が2軍で30本塁打をマークしていたのだ。これが鵜久森さんにとっての転機となった。
「結局は競争に負けたっていうだけなんですけどね。でも(中田は)年下でこれから球団を担っていくドラ1。『それはそっちになるよな。レギュラーは無理だな』って率直に思ったんです。そこで1回レギュラーを諦めた。諦めたっていうか、切り替えた。役割を代打にしよう、打つ人として出番で結果を出す人で生きていこうと思いました」
当時まだ22歳。「毎日朝起きたらすごく悩みましたけど、切り替えて切り替えて」。頭ではわかっていても受け入れるのは容易ではなかったが、それが自分の生きる道だった。
(町田利衣 / Rie Machida)
