日本記録阻止の阪神打線に「それはないぞ」 2度の偉業があと“1”で…中日左腕の嘆き

元中日・野口茂樹氏、2001年は開幕8連勝も左肘に打球直撃から暗転
すさまじい勢いだった。2001年の中日・野口茂樹投手は開幕から連勝街道を突っ走った。3、4月は3勝0敗、防御率1.07、3完投、39奪三振、5月は4勝0敗、防御率1.58、2完投、46奪三振で2か月連続月間MVPのロケットスタートだ。6月27日の巨人戦(札幌ドーム)で打球が肘に当たり、勝ち星ペースは落ちたものの、後半戦は日本タイ記録の4試合連続無四球完投も達成。制球難に苦しんでいたかつての姿はどこにもない。左腕がまた躍進したが……。
開幕から勝ちまくった2001年、野口氏は140キロ台後半のストレートが際立った。「自分は力を思い切り入れて投げていたわけじゃないんですけど、たぶん、体の使い方が変わっていたんだと思います。横だったヤツがうまく縦に変わって……」。意図的に球速アップを目指したわけではないそうだが、とにかく絶好調だった。4月7日のヤクルト戦(神宮)で1失点完投のシーズン1勝目を挙げてから、6月6日の巨人戦(東京ドーム)まで無傷の開幕8連勝だ。
3、4月、5月と2か月連続で月間MVP。5月24日の阪神戦(金沢)では1安打完封勝利で1試合16奪三振のセ・リーグタイ記録もマークした。「8回までに16をとったのに、9回(の阪神打線)はみんな(当てにきて)トスバッティングし始めたから“おいおい、それはないぞ、振ってよ”って思いましたけどね。あんな狭い球場でね」と笑いながら振り返ったが、それほど野口氏の投球は冴えまくっていた。
だが、好事魔多し。「自分でもオールスターまでに何勝するんだろうって思っていたら、北海道で肘にボールが当たったんですよね」と野口氏は無念そうに話した。4回4失点の6月13日の阪神戦(大阪ドーム)で開幕からの連勝が8でストップし、それから2試合目の先発となった6月27日の巨人戦(札幌ドーム)でのアクシデントだった。
「松井(秀喜)の打球が肘に直撃したんですよ。でも、その時点では(3-0で)勝っていたから、そのまま投げたんです。そしたら打たれてしまって……」。結局4回途中、4失点で交代。試合は延長11回9-5で中日が勝ったが、野口氏には影響大だった。「そこからスピードが出なくなった、ていうか、あまり勝てなくなったんですよ。1回ローテーションを飛ばして投げたんですけど」。前半を終えて8勝3敗。「本当だったら、前半で10勝くらいできたと思うんですけどね」。
4試合連続無四球完投の日本タイ記録も白星は伸びず…12勝止まり
3度目の出場となったオールスターゲームでは第3戦(7月24日、札幌ドーム)に先発して3回5失点で敗戦投手。初回、西武のアレックス・カブレラ内野手に3ラン、3回には近鉄・中村紀洋内野手に2ランを浴びた。「状態はそんなに悪くなかったんですけど、オールスターで打たれると駄目なんですよ。打たれなくてもいいものを、打たれてしまうと怖さというか、変な残像が頭に残っちゃうんでね」。
それでも後半戦の野口氏の投球は決して不安定なものではなかった。8月5日のヤクルト戦(神宮)から4試合連続無四球完投の日本タイ記録も成し遂げた。「でも(その間、2勝2敗で)全部は勝っていないでしょ。完投しているのに、勝ったり負けたりで……」。制球難が大きな課題だった頃を考えれば「大したものですよね」と笑ったが、巨人・松井の打球を受けてからは、好投しても、どうにも勝ち負けに関する流れの悪さを感じていたようだ。
「(無四球完投の)記録が止まった横浜戦(9月1日、横浜)も(2-2の9回2死で横浜の)谷繁(元信)さんに決勝打を打たれた後に、外国人の左バッター(ジョン・ズーバー内野手)だったんですけど、真っすぐを投げても全く振らないんですよ。で、ストライクをとってくれるかなぁって球を審判にボールと言われて、フォアボールになって途切れたんです。あの選手が打ってアウトになってくれたら5試合連続無四球完投。あと1人だったんですけどね」
その試合は9回に谷繁の一打で2点入って、中日は2-4で敗戦。野口氏はシーズン6敗目を喫した。「9回2死からの谷繁さんだって本当は勝負したくないところだったんですが、無四球(の記録)があるから(歩かせずに)勝負して打たれたんです。で、次の外国人にフォアボールでしょ。ダブルショックでしたよ。負けて記録も途切れて終わるという……。まぁ大変だったのはキャッチャーですけどね。僕の記録のために組み立てが難しくなっていましたから」。
2001年の野口氏は防御率2.46、187奪三振で最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得したが「(シーズン成績は)12勝9敗でしょ。(6月上旬の8勝0敗から)大失速ですからね」と手放しで喜べなかったという。それは結果だけが理由ではない。この年の終盤には左肘を故障した。チームは5位に沈み、恩師の星野仙一監督は退任、ずっと支えてくれた中村武志捕手は横浜に移籍した。野口氏にとっては、すべてがショッキングな出来事だった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
