菅野智之と過ごした“歴史的3日間”の意味 縁なかった2人…ダルビッシュが「ずっと会いたかった」理由

ダルビッシュ有(左)と菅野智之【写真:小林靖】ダルビッシュ有(左)と菅野智之【写真:小林靖】

侍ジャパン宮崎合宿で言葉を交わしながら肩を並べて歩く姿

 3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で大会連覇を狙う野球日本代表「侍ジャパン」の宮崎合宿は、24日に打ち上げる。抜群の存在感を示していたのが、合宿限定のアドバイザーとして参加しているダルビッシュ有投手(パドレス)だった。そこへ、菅野智之投手(ロッキーズ)が22日に合流した。わずか3日間だが、ダルビッシュと菅野の“歴史的邂逅”は実に味わい深い。

 打ち上げ前日の23日。残り少ない期間を惜しむかのように、ダルビッシュと菅野は時間を共有していた。午前中、メーン球場から投手陣がウォーミングアップを行うサブグラウンドへ移動する際には肩を並べて歩き、菅野がブルペンで26球のピッチングを終えた後、メーン球場へ戻る際にも言葉を交わしながら歩いていた。

 それだけではない。ダルビッシュが「(菅野のピッチング終了後)個人的に2人で1時間以上、ブルペンで話しました。これまでそういう機会はなかったのですが、お互いに腹を割って、いろいろな話ができました」と明かしたのだ。「自分は菅野くんにずっと会いたかったですし、リスペクトしている投手なので、そういう時間があっただけでも、ここに来てよかったと思います」と最大限の敬意を表した。

 年齢はダルビッシュが3歳上で、いずれ劣らぬ日本を代表する右腕だが、これまでは日本代表に名を連ねた時期に“ずれ”があり、同じユニホームを着てプレーしたことは無い。

合宿限定のアドバイザーとして参加しているダルビッシュ有【写真:加治屋友輝】合宿限定のアドバイザーとして参加しているダルビッシュ有【写真:加治屋友輝】

 ただ、微妙なニアミスはあった。2011年のドラフト会議。当時東海大4年で“目玉”として注目されていた菅野は、伯父の原辰徳氏が監督を務めていた巨人に指名され入団することを熱望していた。ところが、他球団が菅野の指名を見送った中で、当時ダルビッシュが所属していた日本ハムが敢然と1位指名。巨人との抽選の結果、交渉権を獲得したのだった。

菅野の「期待が高い中で成績を残してきた道のり」を称賛するダルビッシュ

 一方、ダルビッシュは同年オフにポスティングシステムによるメジャー移籍を志願し、12月にレンジャーズが交渉権を獲得した。菅野は日本ハム入りを拒否し、1年間の“浪人”を決断。翌2012年のドラフトで巨人から単独1位指名され、初志を貫徹するに至った。

 日本ハムが菅野を指名したドラフトから15年。ダルビッシュは菅野を「最初ファイターズから指名されて、1年浪人して、そこから凄くプレッシャーの高いジャイアンツに入って、原監督との関係もあって期待が高い中で、あれだけの成績を残しエースとして君臨してきた」と称賛。「自分はそういう経験をしたことがないので、そういう道のりをたどってきたところをリスペクトしています」と語った。

 いやいや、確かに趣は異にするけれど、ダルビッシュも人一倍注目を浴び、私生活を含め興味本位の視線にさらされてきた点では、菅野と共通しているのではないだろうか。方法は違えど、野球やトレーニング法、体の使い方などに対する旺盛な研究心、ストイックな取り組みでも2人は共通している。分かり合える部分が多いのではないだろうか。

菅野智之【写真:小林靖】菅野智之【写真:小林靖】

 菅野はダルビッシュとの邂逅を「本当に光栄なこと。僕にとっていろいろなことを吸収できるチャンスなので、何かを得て、この大会や今シーズンに生かしていきたいと思います」と表現した。

 ダルビッシュが昨年10月にトミー・ジョン手術を受けたため、今回のWBCでチームメートとして戦うことはできなかったが、明らかに菅野との関係性は変わった。今季、メジャーの舞台で再会した時、2人はどんな表情を浮かべ、どんな会話を交わすのだろうか。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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