高かったプロの壁「野球が嫌いに」 2度の戦力外…オファー断り選んだ引退「離れたいと」

元西武の川野涼太氏の第2の人生
「野球が嫌いになった」――。苦しみ続けた6年間だった。元西武の川野涼太氏はかつて“松井稼頭央2世”と期待され、九州学院高から2019年ドラフト4位で入団した。両打の内野手として将来を嘱望されたものの、プロの壁に阻まれ昨年現役を引退した。
1軍の舞台に立ったのは2022年の5試合のみ。出場機会を増やすことはできず、2023年オフに戦力外通告を受けた。育成契約を結び、背番号3桁から再出発。それでも、状況は大きく変わらなかった。
「2023年はA班キャンプスタートで、オープン戦も1軍にいたんですけど、開幕前に2軍に落ちて、そのまま3軍まで落ちてしまった。そこから夏あたりまでずっと上がれなくて。チームには間違いなく貢献できていなかったので『もう首を切られるだろうな』っていうのは正直ありました」
結果がすべての世界。食事やトレーニングを見直し、必死にもがいた。それでも、光は見えなかった。
「野球から離れて自宅に帰ったときとか『どうしよう』と考えてしまいました。でも、考えれば考えるほどドツボにはまっていくなと思ったので、プロ野球選手なら、今は目の前のことに集中して、余計なことは考えないようにしていました」
育成契約になった後、大きな決断を下した。何かを変えなければと、両打ちから打率の良かった右打ちに専念。2025年には登録名を「川野涼多」から「川野涼太」を変更した。何かを変えなければという一心だった。だが、支配下に復帰することはできず、2025年オフに2度目の戦力外通告を受けた。
支配下期限直後に悟った「今年でだめかな」
「支配下登録期限の7月31日を過ぎた時に『今年でだめかな』というのはありました。結果を出せなければ首を切られる世界です。他球団を見ても『なんでこの人が戦力外になるんだろう』という人がたくさんいる。何年も置いてくれるほど甘い世界ではないと思っていました」
戦力外通告後、社会人チームなどからオファーはあったが「やるならNPBでやりたい」という気持ちが強く、断りを入れた。NPBでプレーできないのであれば、現役を引退しようと決めていた。順風満帆だった野球人生は、プロ入り後に大きく変わった。
「野球が嫌いになってしまい、野球から離れたいと思いました。プロに入るまでは、自分が思う通りの野球人生だった。でも、プロに入ってからは上手くいかなくて……。好きだった野球が、徐々に嫌いになっていきました」
野球しかしてこなかった人生。引退後、何をすべきか分からなかった。そんな時、ライオンズアカデミーのコーチの打診があった。子どもが好きで、教えることも好き。その思いが背中を押した。
「声をかけていただいたときは嬉しかったです。小中学生に、自分が学んできたことを教えたいと思いました」
そして今、何より強く願うことがある。
「子どもたちに、僕みたいに野球を嫌いになってほしくないんです。野球を好きでいることが一番のモチベーションだと思うので、楽しい練習環境づくりを心掛けています」
結果を求められ続けたプロ野球人生。その中で一度は失いかけた「野球が好き」という気持ち。だが今、川野氏は子どもたちの笑顔とともに、再び野球と向き合っている。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)