戦力外で抱いた葛藤「罰ゲームみたいな感覚」 ドラ1が痛感した現実…諦められなかった野球人生

オリックス、中日でプレーした後藤駿太氏が振り返る“激動のオフ”
オリックス、中日で15年間プレーした後藤駿太氏が、新たな一歩を踏み出した。2025年限りでユニホームを脱ぎ、2026年シーズンから台湾プロ野球(CPBL)の中信兄弟で打撃メカニクスコーチに就任。激動のオフを経て下した決断についての思いを明かした。
群馬・前橋商高から2010年ドラフト1位でオリックスに入団。2013年から5年連続で100試合以上に出場し存在感を示したが、2022年7月に中日へトレード移籍。中日では出番に恵まれず、2025年オフに戦力外通告を受けた。
「戦力外と言われたのが10月28日でした。トライアウトもぎりぎりでしたし、10月、11月はフリーのつもりでいたので……。そこからまた動く気にもなれませんでした」
新天地を模索するには、遅い“非情通告”だった。現役続行を目指すも、「もう枠がない」「少し遅かった」といった“否定的な”言葉を耳にするたびに、悔しさがこみ上げた。
「気を使われているだけかもしれないですけど、そう言われると“遅かったんだな”と思いますよね。なんでこのタイミングなんだろう。もっと早く言ってくれたら。無責任すぎるだろと思ってしまうこともありました」
複雑な思いを抱えながらも“厳しい現実”とはしっかりと向き合った。その裏には中日に移籍する直前から胸に秘めていた覚悟がある。後藤氏は2022年頃から“今年で終わるかもしれない”という思いを抱きながらプレーしてきたという。
「ずっと覚悟はしていましたけど、昨オフは“ないかな”と思っていた。ないかなと思っていても、実際にそうなればそれが現実なんです。これがプロの世界。仕方ないです」

オリックス時代の同僚、平野恵一氏から届いたオファー
すぐに気持ちを整理できたわけではなかった。現役か引退か、後藤氏の心は揺れていた。そんな時、オリックス時代のチームメートであり、現在は中信兄弟を率いる平野恵一監督からコーチ就任のオファーが届いた。引退後に「一度は指導者をやってみたい」と考えていた時期もあり熟考した。
「台湾のことは全く知らなかったので、正直ぎりぎりまで悩みました。ただ今後を考えた時に、すごくいい経験になると思い、受けさせていただきました」
現役時代から親交の深い平野監督の存在も大きかった。「バッティングの相談にも乗ってもらいましたし、プライベートでもお世話になりました。本当にいいご縁をいただいたと思います」と感謝を口にする。
引退発表からわずか2日後、コーチ就任が発表された。もちろん葛藤もあった。
「選択肢をいただけるのはありがたいこと。ただ“次を決めなきゃいけない”というプレッシャーがあり、罰ゲームみたいな感覚もありました」
悩んだ末に決断した指導者の道。今年から後藤氏の第2の野球人生が、台湾で幕を開ける。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)