高校時代を横須賀で過ごしたレッズ番のトレント・ローズクランス記者、日本に来た“珍理由”
豊かな野球文化に育まれ独特な精神性を具えた日本野球の信奉者を自任するアメリカのメディア関係者は少なくない。彼らとの会話には片言の日本語が混じり、夏の空に浮かぶ積乱雲のように加速度的に言葉が膨張していく。が、多くの場合、おしゃべりの域を出ない。
それはともかく、この書き出しになったのは、野球記者になる心のルーツを日本に持ち、日本の野球とその文化に敬意を抱くアメリカ人記者から深い話を聞くことができたからにほかならない。
4月終わりのシンシナティ。オハイオ川の上を渡った爽やかな東の風が球場を抜けていく。
レッズの本拠地グレート・アメリカン・ボールパークの記者席で、薄曇りの空とは対照的な明るい笑顔を見せるトレント・ローズクランス氏は、父親の転勤で高校時代の2年間(1992〜1994年)を横須賀で過ごしている。
日本に行くことになった理由が面白い。
「ある日のこと、海軍に勤務する父が国外への異動辞令を受け母と話がしたいと電話をしてきたんです。でも、運悪く彼女は不在。まだ携帯電話なんかない時代でしたから、どうすることもできず、長男の僕が家族を代表する形で候補地の中から選んだんです。理由は一つ。日本の野球に興味があったから(笑)」
満ち始めた日本時代の記憶をローズクランス氏は次々に取り出していった。
「最初はヨコスカの米軍基地の外に住んで、2年目は基地内にある軍関係者用の住宅に移りました。驚いたことに、1年目に住んだ所が2020年にレッズに来たアキヤマ(秋山翔吾)が暮らしていたすぐ近くだったんですよ。地図を見て思わず顔を見合わせてしまってね」
ブラッグスは「ゴメン、覚えてないよ」も…「ワイフが覚えていたよ!」
横須賀の基地から電車で30分の横浜スタジアムが週末の聖地になった。屋敷要、高木豊、石井琢朗ら脚力のある選手が主導するスモールベースボールに鮮烈な印象を受け、グレン・ブラッグスとボビー・ローズが打点を稼ぐベイスターズの野球が好きになった。時には、東京ドームへ足を延ばした。個性的なスタイルと実力で圧倒的な存在感を放ち、後にメジャーでも活躍する野茂英雄、伊良部秀輝、イチロー、松井秀喜を見てプロ野球の虜になった。
日本の電車は外国人泣かせだが、「ヨコスカから乗る電車は混んでいても好きでした」と口角を上げるローズクランス氏は、けなげな志をあぶり出すように高校生活最後の夏の記憶を切り取った。
クラスで地域社会について考察するプロジェクトが組まれ、リサ―チと資料収集で人の声が必要になった。真っ先に思い付いたのが、ブラッグスへのインタビューだった。球団の広報に相談をするという頭は端からなく、直談判を敢行。ある日の試合前だった。開門と同時に外野席を目指すと、右翼で仲間が放つ打球を追っていたブラッグスに向かって仲間と大声で呼んだ。でも届かない。諦めずに続けた。そして、最後のつもりであらん限りの声を張り上げた。すると、憧れのブラッグスが振り向いた。
「クラスの課題でインタビューがしたいって? ああ、いいよ。問題ない。試合後に遠征に出るけど、その前に少し時間があるから。じゃ、正面玄関の前でやろう」
若葉がその勢いを増す18歳の初夏の思い出――。それから22年を経た2015年のことだった。レッズ球団は、1990年の世界一制覇25周年の記念式典を開催した。その席には当時のメンバーだったブラッグス氏の顔があった。
「式典終了後に、彼に歩み寄ってあの日のことを聞いたんですよ。そしたら『ゴメン、覚えてないよ』って言われてしまって。正直、落ち込みましたよ」
貴重な過去の体験は記憶の中で行き場を失ってしまう。が、しばらくして、その居場所はしっかりと定まった。数年後に再会したブラッグス氏は、張りのある声で言った。「ワイフが覚えていたよ!」。少年からの相談に快く応じた話を聞いていた夫人は忘れていなかった。「ヨコハマとシンシナティはつながっていました。アキヤマの家もそうですけど、世界は狭いなと思いました」。抑揚をつけ話の展開を楽しむローズクランス氏の頬は緩んだ。
親友がメジャーリーガーに…「俺もメジャーを取材する記者になったぞ」
プロ野球で光彩を放っていた野茂英雄、伊良部秀樹、イチロー、松井秀喜の姿は野球を超えて、ローズクランス氏の好奇心を刺激した。「野球を通した日本独特の精神文化を探りたくなったんです」。進学したジョージア大でジャーナリズムを専攻。副専攻では日本史を選択し「Japan and Samurai」のクラスでは、野球と現代日本社会の関わりを考察した論文でブラッグスのインタビューを盛り込んだ。
大学2年の6月に、野球記者を目指す最大の動機が生まれた。
1996年のドラフトでリトルリーグ時代からの親友ジミー・アンダーソンがパイレーツから指名を受けた。「メジャーリーガーになった彼を取材したい」。卒業後、ジョージアの小さな新聞社で5年の研鑽を積むと、メジャーリーグの取材現場に立った。そして2000年の4月23日、前年にメジャー昇格を果たしたアンダーソンとアトランタで再会した。
「久しぶりだな。お前がここに来るのをずっと楽しみにしてたんだ。俺もメジャーを取材する記者になったぞ」
ローズクランス氏の隣にいた父チャックさんと母コニーさんは二人の姿に感涙した。
意地悪してくるケン・グリフィーJr.に「僕は投票権あるしまだ締め切り前だからね」
王貞治を描いたデイビッド・フォークナーの伝説的名著『A Zen Way of Baseball』に出会い、何度も読み返した。15歳だった少年は、観た試合数を誇る単細胞ではなかった。数字や史料調べに血道を上げる偏執狂でもなかった。日本の野球がただ好きだった。アメリカを離れるまでにロバート・ホワイティングの3作品を読破し、日本の野球とその文化を眺望する基礎工事を終えた。
「日米の野球の違いがよく分かる当時の彼の代表作『Slugging it Out in Japan』『You Gotta Have Wa』『The Chrysanthemum and the Bat』を全部読んで、日本の野球と異文化を知るための準備をしました。今も3冊全部を大事に持っています。こんなことを言うと、カッコよく聞こえるかもしれないけれど、あの頃の僕は、日本の野球に礼を尽くそうと思ったんでしょう」
ここまでレッズ番として一番の思い出は、ケン・グリフィーJr.の米野球殿堂入り発表の日だと言う。2016年1月6日、ローズクランス氏は、フロリダのグリフィー家に招かれ吉報の喜びを分かち合っている。
「もう10年になりましたか。で、これねぇ、ジョークのようで本当の話。発表の少し前に『スター・ウォーズ』の新作が封切られたんですが、僕より先に観たケンがその内容をやたら教えたがるんですよ。意地悪でしょ。あまりにもしつこいんで、『僕は投票権あるしまだ締め切り前だからね。しゃべったら入れないよ』って言ってやったんです。そしたら急に静かになりました(笑)」
全世界同時公開の「ケン・グリフィーJr.殿堂秘話」であるが、米球界屈指の大スターは日々の取材に真摯に取り組んできた記者の姿を決して見逃すことはなかった。二人は昵懇の仲になった。
最後に聞いた――日本の野球で一番気になるのは何か。その答えは「夏のコウシエン。いつか絶対に観に行きたい」。横浜の潮風をかいだ少年は、今、浜風が吹く日本野球の聖地に思いを寄せている。
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【マイ・メジャー・ノート】
1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト・木崎英夫記者による深堀りコラム。現場での取材からはもちろん、豊富な取材メモから送るエピソードも。コアなMLBファンのための記事を原則週1本配信。
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)