巨人捕手から「ぶつけるぞ」 “脅迫”にも我関せず…中日外野手の強烈な仕返し

元中日・豊田氏が忘れぬ値千金の代打アーチ
再スタートを切った。元中日の豊田誠佑氏(名古屋市中川区・居酒屋「おちょうしもん」経営)は、プロ6年目の1984年、104試合に出場。スタメンは5試合だけで、代打、代走、守備要員としての出番がほとんどだったが、全力でチームに貢献した。怪我もあって平野謙外野手との中堅レギュラー争いに敗れ、一時は気持ちの張りをなくしていたが蘇った。5月17日の巨人戦(郡山)では値千金の代打アーチも放った。
嫌な流れを断ち切り、モヤモヤを吹き飛ばして豊田氏は1984年、1軍の舞台に帰ってきた。中日が優勝した1982年の開幕前、オープン戦で死球を受けて右手首骨折で離脱。その間に台頭した平野とのレギュラー争いに敗れ、控えに回り「もう俺は終わった」と消極的になった。1983年はわずか1安打でシーズン後半は2軍暮らしだったが、そこから気持ちを何とか立て直した。
山内一弘監督体制となった秋季練習では、ナゴヤ球場のフェンスに激突して左手首骨折のアクシデントに見舞われたが、諦めなかった。豊田氏は「ちょっと、あるところで、みてもらったんです」と話す。「そしたら『あなたは先祖に手を合わせていない』と言われたんですよ。『だから手首ばっかり骨折するんだ』って……」。何かを変えたい一心で、その言葉に従ったという。「それからは東京に行くたびに谷中にある、うちのお寺に花を持って行くようになりました」。
その効果があったのか「秋に骨折したけど、春には間に合ったんです」と豊田氏は語る。同時に控え選手として、やるべきことをやろうと切り替えた。レギュラー取りに失敗し、右肩痛などに悩み、落ち込んでいた姿はなくなった。1984年は好スタートを切った。4月6日の広島との開幕戦(広島)では北別府学投手から代打安打。それは1983年4月24日以来となる1軍での安打だった。
調子も上向いていた。3試合目の出番となった4月13日の広島戦(ナゴヤ球場)では途中出場で2打数2安打1打点。翌14日の同カードでは広島・山根和夫投手から代打アーチを放ち、そのまま中堅守備につき、2試合連続で2打数2安打1打点。この時点で6打数5安打の打率.833。前年はわずか1安打だったが、見違えるように打ち出した。「あの時はキャンプからよく練習したもんねぇ。もう最後の年だと思ったから。やっぱり練習は嘘をつかないと思いましたよ」。
その後も好調をキープし、4月26日のヤクルト戦(神宮)では中本茂樹投手から代打2号2ラン。代打中心ながら4月終了時点で打率は.429だった。そして5月17日の巨人戦(郡山)では価値ある一発を放った。8回を終わって3-4。9回表も巨人3番手の西本聖投手の前に2死走者なし。中日はそこまで巨人戦に6連勝中だったが、ついに止まるのか、と思われた。それをひっくり返したのが豊田氏のバットだ。
野次で揺さぶった巨人捕手から「この野郎、ぶつけるぞ」
1番・田尾安志外野手が四球で出塁し、2死一塁。2番・平野のところで、山内監督が代打で豊田氏を起用した。「山内さんに『レフトにいい風が吹いているぞ。今日の西本はカーブが多いぞ』って言われたので『監督! わかってまんがな』と言って出ていったんです(笑)」。打席に入ると1歳年上の巨人・山倉和博捕手が怒っていたという。「ずっと山倉さんを野次っていたんですよ。『巨人はアンタがいるから(中日に)勝てないんだ!』とかめちゃくちゃ言っていましたからね」。
ベンチに控える豊田氏は代打男としてだけでなく、常に声を出し“ヤジ将軍”としても力を発揮していた。その時は山倉をターゲットにして揺さぶっていたようだが、言われた方はカチンときていた。「(打席で)『お前、偉そうにヤジってばかりいるんじゃないぞ、この野郎、ぶつけるぞ』って言われました。『ぶつけてください。一塁に行けますから』と返しましたけどね。で、1球目は絶対シュートだろうなと思ったら案の定。全然イージーでよけましたけどね」。
そしてヤマを張ったという。「次は絶対カーブだなと。カーブ、カーブ、カーブって思いながらね。(そうしたら)キター! ドーンとレフトスタンドに入っちゃったんですよ」。高めに甘く入ったカーブを逃さず、代打逆転2ランをかっ飛ばした。9回裏は守護神・牛島和彦投手が締めて5-4で中日は巨人戦7連勝を飾った。
山内監督にとっても、してやったりの代打策成功。「のちにね、山内さんによく言われましたよ。『講演するときは、郡山の話を必ず出しているからな』ってね」と豊田氏は微笑む。中日はこの後もライバル・巨人に勝ち続け、14連勝を記録した(最終成績は17勝8敗1分)。最後失速して、優勝は広島に持っていかれ2位に終わったが、見せ場はたっぷりのシーズンでもあった。
この年の豊田氏は代打本塁打を4本記録。シーズン4本目は8月27日の巨人戦(後楽園)で江川卓投手から。「真っ直ぐ。打った瞬間カーンって。完璧だった。中段まで行ったんじゃないかな」。代名詞でもある「江川キラー」ぶりも見せて、復活を印象づけた。ちなみにプロ通算13本塁打の豊田氏が複数本塁打をマークしたのも江川だけだ。
翌1985年、春季キャンプ前に右翼レギュラーの田尾が西武へトレード移籍。再び、定位置獲得のチャンスが到来した。しかし、うまくいかなかった。何とも浮き沈みの激しいプロ野球人生。またもや不調モードがやってきた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)