「僕はいつも空を見上げるんです」 欠かさぬ祖父への感謝と「今でも相談する」恩人の存在 菅野智之が行き着いた理想フォームの終着点【マイ・メジャー・ノート】

極度の体調不良を乗り越え、日米通算150勝を達成したロッキーズの菅野智之【写真:ロイター】極度の体調不良を乗り越え、日米通算150勝を達成したロッキーズの菅野智之【写真:ロイター】

体調不良も迷うことなく先発登板を志願

 極度の体調不良をおして登板したロッキースの菅野智之投手が、節目の記録に到達した。

 16日(日本時間17日)の本拠地ダイヤモンドバックス戦登板を直前に控えアクシデントに見舞われた。クラブハウスでの食事後に、体調が一変。吐き気や下痢などの症状に襲われた。「多分、食あたりだと思うんですけど、急に気持ちが悪くなってしまって」。首脳陣は中継ぎ投手を先発に起用する「オープナー」で、回復の様子見を提案したが、迷うことなく先発を志願。5回を投げ切り、今季4つ目の白星で日米通算150勝(日本136勝、米国14勝)を達成した。

「自分のいつものルーティンができないのもありますし、そこは腹をくくって、自分でマウンドに上がると決めた以上はしっかり自分のできる仕事をしようと思っていましたし、そういう言い訳はしないようにしていました」

 先発投手陣の混沌化を食い止める使命感もあった。左肩炎症から4月下旬に復帰した開幕左腕フリーランドはここまで1勝5敗と苦しみ、新加入のベテラン右腕ロレンゼンも2勝5敗、防御率6.55と安定しない。さらに、前日15日には成長著しい若手のドーランダーが右肘痛で15日間の負傷者リスト入りとなった。

 責任を背負ったマウンドで菅野は毎回出塁を許した。2回は足でかき回された。1死からの連打で一、三塁とされ、重盗を決められて失点。3回には制球を乱し、今季初の1イニングで3四死球を与えた。5回は1死からの連続二塁打で1点差に迫られたが、持ち堪えた。5回を投げて、7安打2失点、3四死球。自分にも負けない投球で責任を全うした。

「巨人やオリオールズ、今のチームメートにすごく感謝」

「うまくタイミングを外したり、根気強く投げられたような気がします。(150勝は)素直にうれしいです。自分1人の力ではここまで到達できなかったと思いますし、巨人やオリオールズ、今のチームメートにすごく感謝しています。ただ、通過点なので次の151勝目を目指してやっていきます」

プロ初勝利を挙げ、お立ち台でウイニングボールを手にする巨人時代の菅野智之(2013年)【写真提供:産経新聞社】プロ初勝利を挙げ、お立ち台でウイニングボールを手にする巨人時代の菅野智之(2013年)【写真提供:産経新聞社】

 登板すらも危ぶまれた最悪のコンディションで投げ抜いた88球――。「チームのために立ち上がった男気登板」の見出しが容易にできるまさに粘投であったが、投手として重層的な資質を持つ菅野にとってそんな惹句(じゃっく)は不要である。

 日米通算150勝以上の史上10人目の投手になった菅野に、翌日、聞いた――最悪のコンディションで5回を投げ切ったのは大きな自信になったか。その答えは、寒々しかった。

「自信ですか?……。いや~、別に何とも思ってないっすよ(笑)。だって、内容が悪いじゃないですか」

 “寒々しい”とは、自分自身を含めた対象を冷酷に突き放して見ることのできるリアリストの体質がはっきりと見えたという意味である。美談をありがたがるのは並みの選手。菅野は、幾多のプロセスを忍ばせ構築した投球を自ら物語へと引き上げた。

 ピンチを迎えるたびに思い浮かべたのは、恩人、久保康生氏の教えだった。

「きのうも助けになってますし、今でもたまに悩んだときに相談させてもらうんですよ。それが今こっちで戦っている自分の軸になっていると思います」

今も続く巨人・久保康生とかわす“投球フォーム論”

 巨人時代の2023年、春先の右肘痛で出遅れ調整不足が尾を引いた。プロ11年目で自己ワーストの4勝止まり。同年から巡回投手コーチに就任していた久保氏に次々と急所を射抜かれた。それでも最多賞、最優秀防御率のタイトルをそれぞれ4度獲得し、沢村賞2度受賞のプライドがあった。だが、慧眼の異論者が愚鈍な賛同者よりもしばしば貴重であることを知った。「もう終わり」と周囲からささやかれた男は、再浮上への基礎工事を完了した。翌年、15勝3敗と完全復活。投手の総合指標で最も重視されるWHIPも0.94と両リーグトップの数字を叩き出し35歳で海を渡った。

久保康生投手巡回コーチ(左)から投球指導を受ける巨人時代の菅野智之(2023年)【写真提供:産経新聞社】久保康生投手巡回コーチ(左)から投球指導を受ける巨人時代の菅野智之(2023年)【写真提供:産経新聞社】

 常闇の入り口まで行きかけた菅野を支えているのは、「投球そのもの」である。極度の体調不良を乗り越えた勝利の浪花節は歌わない。節目の150勝については一切語らず、葛藤した「久保理論」に踏み込んだ。

「久保さんのは、とにかく左足に力をぶつけていけっていう感覚。『完全に右足を捨てて左足に乗っていけ』って言うんですね。でも、それをやっても僕にはやっぱり難しかった。なので、自分なりに噛み砕いて解釈した結果がそれでした」

 言葉の最後の“それ”とは、左足をそっと地面に着ける踏み込みのこと。中継映像を見ていてそこに目が行く人もいるであろう。実は、着地が「そっと」見えているのは、リリースで力を爆発させるためのゆったりとした一連の動きの錯覚で、試行錯誤を重ねて行き着いた理想のフォームの終着点である。

理想のイメージは長いほうきを倒す際の現象

 菅野は、噛み砕いた「久保理論」をこんな喩えで軽やかに説いた。

「長いほうきでも棒でもいいですけど、床に垂直にして片手で持っているのを思い浮かべてください。その棒をパっと離すとどうなります?床に向かって倒れていきますよね。で、倒した時のその速度と棒が着地する瞬間の速度って違うじゃないですか。加速してパーンって落ちるじゃないですか。そういうイメージなんですよね、あれ」

 この話から思い出したのは、大塚晶則(現・晶文)である。パドレス時代のある日、ぺトコ・パークに遠征で来た300勝右腕ロジャー・クレメンスのブルペンを後方から見ていた大塚は、独特な左足の動きに気づいた。投球モーションを起こす時に、上げた左足を元へと戻す感じで降ろしていき、そこから体重の移動を始め静かに着地していた。一緒に見ていた同僚投手はそれを「チェック・ウォーター」と表現。またぎきれない水たまりに足の先を入れ深度を探る仕草と重ね合わせている。

 奇しくも、大塚は菅野と同じ東海大出身で、近鉄時代に影響を受けた久保康生氏を「野球人生の師」と呼ぶ。

アマチュア球界の重鎮、故・原貢さんからの教え

 標高1マイル(約1600m)に位置し空気抵抗が少なく、打球が飛びやすいことから“打者天国”とも称されるクアーズ・フィールドで、菅野が被長打率を下げるためにジャイロ回転のスライダーを習得したことは既に書いたが、高地で有効な回転効率の低いスプリットにも磨きをかけたこともあって、試合後の囲みとなれば、変化球の質問が必ず出る。だが、本人が最も手応えを感じているのは速球である。

「僕が一番いいなと思うのはシンカー。それに真っすぐの回転数も回転軸もいい。で、去年は、トラックマンで出る数値がこっちの投手が投げるシンカーとは開きがあって、(真っすぐと)差別化できてなかったんです。でも、今年はそれが真っスラみたいな感じになってきて、結構曲がるようになってます。だから、差別化ができて良くなってきている要因じゃないかなと僕は思っています」

真っすぐとシンカーの差別化に手応えを示すロッキーズの菅野智之【写真:ロイター】真っすぐとシンカーの差別化に手応えを示すロッキーズの菅野智之【写真:ロイター】

 軸になる直球の精度は上がり、シンカーは切れを獲得した。オフの取り組みが奏功した結果なのかを問うと、「いや、別に何もしてないです」。思い込みはいとも簡単に斥けられた。
 
 プロの世界に入って14年目の菅野には、毎登板ずっと欠かさないことがある。それは、野球をすることの意味を深く教えてくれた今は亡き祖父・原貢さんへの感謝の思いを胸奥でささやくこと。

「僕はいつも空を見上げるんです、初回のマウンドに上がる時に。亡くなった次の登板から、ここに至るまで1試合も欠かしたことはないです」

 菅野智之は、「150」の記録を誇るつもりもない。それをどうやって積み重ねたかに胸を張る。

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【マイ・メジャー・ノート】
 1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト・木崎英夫記者による深堀りコラム。現場での取材からはもちろん、豊富な取材メモから送るエピソードも。コアなMLBファンのための記事を原則週1本配信。

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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