「そう、ヨコハマでね!」父は元大洋戦士 OPS2.177の打ちまくり…パドレスの週間MVP男が明かす覚醒の秘訣

横浜大洋でプレーした父ラリー・シーツ氏(左)とパドレスのギャビン・シーツ【写真:産経新聞社、黒澤崇】横浜大洋でプレーした父ラリー・シーツ氏(左)とパドレスのギャビン・シーツ【写真:産経新聞社、黒澤崇】

本拠地に響く「HOLY SHEETS!」…週間MVPを初受賞したパドレスのギャビン・シーツ

 メジャーの舞台で、大洋戦士の息子が奮闘している。パドレスのギャビン・シーツ内野手の父は、1992年に横浜大洋(現DeNA)で活躍したラリー氏。30歳のシーツにとっては生まれる前の出来事だが、父から何度も日本での思い出を聞かされてきたようだ。一度はノンテンダーされた大砲は、11~17日(日本時間12~18日)のナ・リーグ週間最優秀選手を初受賞。“覚醒”の理由を語った。

「HOLY SHEETS! HOLY SHEETS!」

 シーツが打席に立つたびに、本拠地のペトコパークに大合唱が起こる。「なんてこった」という驚きを表すスラング「holy shit」とラストネームを掛け合わせた造語だ。11日から17日までの1週間、シーツはまさに「HOLY SHEETS!」と叫びたくなるような猛打を発揮した。

 期間中の打率.625、出塁率.739、長打率1.438、OPS2.177はリーグトップ。4本塁打、5長打、23塁打もトップタイだった。「打席の中であまり多くのことをやり過ぎないこと。できるだけシンプルに。苦しんでいる時はホームランを打とうとか、ヒットを打とうとか、考え過ぎてしまっているんです」。絶好調の理由を端的に説明した。

 14日(同15日)の敵地でのブルワーズ戦では、MLB初の快挙も達成した。0-1とビハインドの9回2死一、二塁から右中間に起死回生の逆転3ラン。米データ会社「オプタ・スタッツ」によると、4月10日(同11日)、23日(同24日)に続き、「同一シーズン中に3度、9回に勝ち越し3ランを放った」史上初の選手になったという。まだ5月半ばなのに、だ。

挫折を経験「打席が回ってくることを恐れ、望んでいなかった時期がありました」

 勝負強さの秘訣は「アドレナリンを抑えること」。大きな場面では結果を出そうと気持ちが高ぶってしまいがちだ。心拍数を下げるために、複数の呼吸法を活用。深く息を吸い、「相手も同じプレッシャーを感じているんだ」と言い聞かせ、打てる球を待つように心がける。

「あとはその状況を受け入れて楽しむことです。その瞬間を望んでいない選手には打席は回ってこないですから」

 今でこそ絶好機に回ってくることを望めるようになったが、かつてはそうではなかった。2021年6月にメジャーデビューすると、わずか54試合で11本塁打、OPS.830と好スタート。大きな期待を背に、2年目以降も毎年2桁本塁打をマークしたが、OPSは.706、.598、.660と伸び悩んだ。2024年オフには121敗を喫したホワイトソックスからノンテンダーに。大きな挫折を経験した。

週間MVPを初受賞したパドレスのギャビン・シーツ【写真:黒澤崇】週間MVPを初受賞したパドレスのギャビン・シーツ【写真:黒澤崇】

 パドレスから受けたオファーもマイナー契約。だが、スプリングトレーニングでアピールに成功し、開幕前にメジャーのロースター枠を勝ち取った。そして迎えた昨季はキャリアハイの145試合出場、19本塁打、71打点をマーク。OPSも.746とチーム3位の数字を残した。

「一番はその瞬間を、その打席を求めること。キャリアの中で、(絶好機で)打席が回ってくることを恐れ、望んでいなかった時期がありました。今はネクストバッターズサークルで自分に言い聞かせるんです。『この瞬間を求めてきたんだろう。自分を信じろ』って。自分を信じることができれば、打てるチャンスも高まります」

父ラリー氏は「日本の文化と野球に敬意しか抱いてなかった」

 初の週間MVP獲得を誰よりも喜んでいるのは父のラリー氏だろう。オリオールズなどで8季プレーした元メジャーリーガー。1992年には横浜大洋で131試合に出場し、打率.308、26本塁打、100打点と活躍した外野手だ。「父は私のメイン打撃コーチです。彼が私に野球のプレーの仕方を教え、この競技に対する愛を育ててくれました」。今の自分があるのは父のおかげだとシーツは感謝する。

 ラリー氏がNPBでプレーしたのはシーツが生まれる4年前。もしかしたら日本でのキャリアについて知らないかも……と不安になりつつ、「お父さんは日本でもプレーしましたよね」と聞いてみた。すると間髪入れずに「そう、ヨコハマでね!」と笑顔で返ってきた。杞憂だった。

「私は行ったことはありませんが、彼はそこでとても楽しい時間を過ごしました。文化を満喫し、そこでプレーすることを楽しんでいました。ヨコハマ・ホエールズでかなり成功しましたしね。彼は日本の文化と野球に対して、敬意しか抱いていませんでした」

 こちらから何も言わずとも、球団名も出てくる。その口ぶりからは、父から何度も日本での思い出を聞かされてきたことがうかがえた。打撃ミーティングが始まるということで、ここで話は打ち切りに。願わくはまたいつか、元助っ人が何を語り継いだのか詳しく聞いてみたい。

(鉾久真大 / Masahiro Muku)

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