パチンコで門限破りはOKも…契約金で車購入は「怒った」 奔放寮長、退団覚悟の“飴とムチ”

元中日外野手の豊田誠佑氏はスカウトや寮長を歴任
熱く、目を光らせた。「江川キラー」で知られた元中日外野手の豊田誠佑氏(名古屋市中川区・居酒屋「おちょうしもん」経営)は1998年から中日編成部に異動した。少年野球指導の仕事を経て、関東、北信越地区担当のスカウトになった。山田久志監督時代の2003年に1シーズンだけ2軍外野守備走塁コーチを務めた以外は2008年まで、逸材探しに奔走した。その後、中日合宿所「昇竜館」の館長に就任。「怒ったりしたけど、楽しかったですよ」と話した。
豊田氏はスカウトとして飛び回った日々を思い起こしながら「僕が関わった選手はもう誰もいませんからねぇ」と寂しそうに話した。さらには「欲しいなと思って、推した選手が(中日の)チーム事情で獲れなかったというのもありましたよ。帝京の中村晃(外野手、2006年高校生ドラフト、ソフトバンク3巡目)とか福井商の中村悠平(捕手、2008年ドラフト、ヤクルト3位)とかね。2人は今も現役で頑張っていますからねぇ……」と何とも言えない表情だった。
「シダックスの左ピッチャー、森福(允彦投手、2006年大学社会人ドラフト ソフトバンク4巡目)は(中日スカウト間では)獲ろうという話になっていた。(地元の愛知)豊川高出身だしね。でも、プロはソフトバンクでって決めていたんだろうね。(森福の)関係者に『お願いですから、豊田さん、指名しないでください』って言われたんですよ」。いろんな“縁”が重ならないとなかなか成就しない難しさもスカウト生活では感じたようだ。
2008年までスカウト活動を行ったが、その間に2003年だけは中日2軍外野守備走塁コーチとして若手育成に尽力した。「山田(久志)さんが(1軍)監督の時にね。(当時)2軍監督の大橋(穣)さんも(自分と同じ日大)三高出身なんですよ」とここでもまた“縁”が絡んだ。「まぁ、次の年(2004年)からは落合(博満)監督に代わって、僕は(2軍コーチを)クビになってスカウトに戻りましたけどね」。
門限破りもバレなければOKも「見つけたら罰金」
その落合監督が5年目シーズンを終えた2008年オフに豊田氏は昇竜館館長を命じられた。「(前任の)堂上(照)さんがやめるってことでね。球団が決めたことだと思いますけど、落合監督には『監督、僕をクビにするときは、自分の目で確かめてクビにしてください。人の噂でクビにしないでください』と言って、やることにしました。監督も『わかった、わかった』と言ってくれましたしね」。それは将来がある寮生たちの“指導”にハンパな気持ちでは臨まないという意思表示でもあった。
家族と離れて昇竜館で生活した。「1、2軍一緒ですからね。1軍の子はナイターが終わって球場でトレーニングしてから帰ってくるんで遅いじゃないですか。食事のこととかもあるし、コックにちゃんと温かいものを食べさせてやってよって言ってね……。で、今度は2軍が朝早いでしょ」と朝から晩まで忙しかったが、やりがいがあったそうだ。「『困ったことがあったら何でも言ってこい、隠さずに言ってこい、解決してあげるから。どんな手を使っても』って言っていました」と笑いながら明かした。
「『ただし、スマホとか、ネットとか、そっち関係はちょっとわかんねぇぞ』ってね(笑)。門限に関しては『俺に見つからなければ好きにしていい。その代わり見つけたら罰金取るからな』と伝えていました。まぁ僕らも若い時には破って遊んでいましたからね。『外泊するときはちゃんと連絡してこい』とか『パチンコで、かかって(大当たりが出て)門限を越えそうだったら俺に電話してこい、終わるまでちゃんとやっていいから』とかね」。実際、パチンコによる門限延長を希望した選手はいたそうだ。
整理整頓、社会人としての常識については口やかましく言ったそうだ。「部屋が汚い選手は野球にもそういうのが出るんですよ。ある選手に『なんだ、お前の部屋は。これくらいきれいにできなくてどうするんだ、親の顔が見て見たいわ』って言ったら、近くに親御さんがいたってこともありましたけどね」。まだまだほかにもある。「契約金で車を買ったヤツがいたので親に電話して怒ったことありました。『車なんか稼いでから買うものですよ。契約金は退職金の一部だから貯めとかなきゃ駄目ですよ』ってね」
厳しく指導した生活態度
熱血館長は「風呂のスリッパでも脱ぎ散らかすヤツは許さなかった」という。「ちゃんと向きを揃えてきちっとしろ、ってね。やっていなかったら『誰だ!』と言って、風呂に入っていても呼び出してやり直させました。玄関とかのスリッパもそう。いろんな方が来られるわけだから。自分ひとりの寮ではないんですからね」とピシャリ。「風呂からバスタオル一枚で部屋に行くのも駄目。寮のおばさんとか、女性もおられるんだから、きちっとして部屋に上がれ、って。今は知らないけど、僕が館長の時はとにかく、そういうのにうるさかったと思いますよ」。
豊田氏は2014年まで館長を務めたが「その頃の寮生もほとんどが(現役を)やめちゃって……」と時の流れの速さを感じている。「今もやっているのは大野(雄大投手、2010年ドラフト1位)と(高橋)周平(内野手、2011年ドラフト1位)くらいかな。あとは(現日本ハムの)福谷(浩司投手、2012年ドラフト1位)と(現オイシックスの)又吉(克樹投手、2013年ドラフト2位)か……。みんな頑張ってほしいですよね」とエールも送った。
約6年間の館長生活について「怒ったりしたけど、楽しかったですよ」と豊田氏は言い切る。「うちの店(おちょうしもん)にも当時の寮生たちが来てくれるんですよ。いまだに俺のことを『館長』って呼んでくるから、『バカヤロー、俺は“キュウカンチョウ”だ』って言うんですけどね、いつも」と言って、とびっきりの笑顔を見せた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)