アフリカを見た元巨人右腕の心残り 異国の地で得た収穫…痛感した“現実”「もったいない」

アフリカに東野峻は何を残したか……巨人が前例のない場所に立つ意味
元巨人投手・東野峻が向かったのは、野球がほぼ存在しないアフリカの2か国だった。官民連携でスポーツを通じた国際交流・協力を推進する「スポーツ・フォー・トゥモロー(SFT)」のSFTアクション+事業として実現した今回の派遣。前回紹介したマラウイでの野球教室を終え、子どもたちとハイタッチで別れを惜しんだ東野は、長距離移動を経て次の目的地ボツワナへと向かった。マラウイとは打って変わって整備された街並みが広がる、アフリカ有数の資源大国だ。
天然ダイヤモンドの産出量は世界トップクラスで、整備された都市インフラが広がる。2024年パリ五輪では陸上男子200メートルでレツィレ・テボゴが金メダルを獲得。2025年世界陸上東京大会の男子4×400メートルリレーでも金メダルをもたらした、世界が注目する陸上強国だ。
JICAボツワナ事務局、スポーツ庁、オリンピック委員会を訪問して情報交換する中で、同じ言葉が繰り返し聞こえてきた。
「オリンピックに野球でも挑戦したい」
国を挙げてのミッションだった。
ソフトボール連盟の歴史は50年を超える。学校が終われば子どもたちが球場に集まり、グローブとバットを手にする光景が日常だ。東野はその光景を見て、日本の少年野球を思い出したという。
10~15歳の子ども19人を対象にした野球教室はセルフキャッチから始まった。ボールを一人1個持ち、左右の手で持ち替えたり、上に投げてキャッチしたりする。慣れてきたところで2人組になり、ワンバウンドキャッチボールへと進んだ。後半に簡易ゲームを行うと、子どもたちの歓声とチームメートを応援する声がグラウンドに響いた。現地のソフトボールコーチが投げ方の良い5人を選び、東野がピッチングに特化した指導を行った。
ここでの指導の中心はピッチングだった。まずボールの握り方から入った。日本式の握りを教え、トップの作り方、体重移動へと丁寧に積み上げた。
「体重移動がないと、自分の力だけで投げることになる。ピッチャーは体全体を使わないといけない」
子どもたちの吸収は早かった。教えるそばから体に染み込んでいく。言葉で説明するより、体が先に覚えていく。「これだけ飲み込みが早いなら、本格的に野球を教えたらどこまで伸びるだろう」。東野はそう思いながら、指導を進めた。指導者たちにも同じポイントを伝えた。
今回の講習にはソフトボールの指導者を中心に36人が参加。日本の野球やJ-ABSが提唱する野球を通じた人間教育の理念「ベースボーラーシップ(R)」を学んだ。巨人軍からは使用済み練習球、アカデミー特別協力企業のナガセケンコー株式会社からは軟式球とBaseball5公式球がボツワナソフトボール協会に寄贈された。道具とともに、野球の種がボツワナの地に根を張り始めていた。
現地の熱量は、東野の気持ちも動かした。
「向こうの方々がこれだけ本気でいてくださるので、こちらも自然と本気になりました」

必死に学ぼうとする姿勢に「こちらも自然と本気になりました」
ただ、ボツワナに来るまでの道のりは簡単ではなかった。マラウイでの活動中、クーラーのない部屋で4時間待たされ、アポイントが直前にキャンセルされることも珍しくなかった。やるせなさが積み重なったある日、東野は同行していた球団スタッフにぽつりと漏らした。
「中南米じゃダメだったんですか?」
言葉にするつもりはなかった。それでも口をついて出てしまった。スタッフは静かに返した。
「ジャイアンツが初めてやることだから、意義があるんじゃないかなと思っています」
東野はハッとした。誰もやっていないからここにいることを、忘れかけていた。
帰国後、変化は静かに日常の中に現れた。
電車が数分遅れても、何とも思わなくなった。若手スタッフの愚痴を聞いても、怒りより先に「もったいない」と思うようになった。アカデミーなどで触れ合う子どもたちへの接し方も変わった。野球だけでなく生活インフラも含め、日本の恵まれた環境を当たり前だと思っていた自分に気づいたからだ。野球に純粋に向き合うアフリカの子どもたちや大人の姿が、その感覚を揺さぶった。
できない選手に苛立っていた自分を、東野は静かに振り返る。DeNAで2軍投手アシスタントコーチを務めた2024年を経て、2025年に巨人へ復帰。指導者としてのキャリアを積んできた男が、アフリカで野球の原点に触れた。
「コーチ時代にあの経験があったら、もっと丁寧な指導ができたのではないかなと思ったりもしましたね」
東野は慎重に言葉を選びながら、こう続けた。
巨人の意志と、東野の葛藤
「もし20年後、30年後にボツワナの野球が強くなっていたら、関わった一人として誇りに思えるかもしれないです。野球がないところに野球を作って、ジャイアンツの名前が残ること。それが意義なんだな、と」。炎天下で忘れかけた言葉が、ここで腑に落ちた。
ボツワナの人たちからも「また来てほしい」という声が届いている。可能であれば来年も現地に足を運びたいと思っている。決めつけずに飛び込んでみると、知らなかった世界が広がる。経験する前から諦めず、新しい一歩を踏み出せる人が増えてほしいと願う。
帰国後、同僚から「アフリカどうでした?」と聞かれた。3週間分の記憶がいっぺんにめぐってきた。言葉を選ぶ間もなく、口をついて出たのはこの一言だった。
「うん、すごく良かったよ。また行きたい」
3週間前とは明らかに違う顔で、東野は笑った。
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)