ザック・ウィーラー単独インタビュー:フィリーズでの進化とポーカーフェイスの原点
フィリーズの絶対的エース、ザック・ウィーラー投手の投球は、キャリアも後半に差し掛かる中でさらに凄みを増している。常に冷静で、感情を表に出すことなく黙々と投げ続ける右腕のキャリアと、進化の裏側に迫った。
2013年にメッツでメジャーデビュー。3度の2桁勝利をマークすると、2019年オフにFAとなってフィリーズに加入した。2024年には自己最多となる16勝をマークし、1イニングあたり何人の走者を出したかを表すWHIPは、キャリアで初めて1を切って「0.96」。さらに昨年は「0.94」と良化、今季もここまで「0.83」と、安定感は年齢を重ねるたびに増している。
ウィーラーのピッチングスタイルは、フィリーズ加入後に大きく変わった。メッツ時代と比較すると、投球フォームの変化は明らか。上から投げ下ろすフォームから、腕を大胆に下げてスリークォーターに。数値で見ると、2021年は38度だったアームアングルが、2025年からは23度に。もちろん意図的な理由がある。
「僕のボールは昔からテイル(シュート回転)するクセがあったんだ。フォーシームがまるでツーシームのような軌道になっていてね。左打者のインコースに投げても、真ん中へ戻ってきてしまうことがあった。僕はインコースにそのまま留まる純粋なストレート、真のフォーシームが欲しかったんだ」
求めたのは縦回転の効いたフォーシーム。以前はリリースの際に右肘を上げて振り下ろしていたが、両肩のラインを地面と平行にした。「今はホームプレートに向かって肩のラインが平行(スクエア)になっている。それに伴って腕も動いたので、結果的にアームスロットが下がった。これによって、ボールがシュート回転して戻ってくることなく、純粋なフォーシームになったんだ」。2021年に2388回転だったフォーシームの回転数は、2025年には平均2471回転に上昇。被打率は.224から.201に下がっている。
腕が下がるにつれて、右打者相手に斜めに落としていたカットボールは投げられなくなったが、真横に滑るスイーパーが新しい武器になった。元々得意としていたシンカーと組み合わせ、左右に曲がる変化球で打者を翻弄する新たなピッチングスタイルを確立した。
中学生時代は「平均的なレベルだった」…高校時代に一躍注目選手に
ウィーラーは3兄弟の末っ子として生まれた。中学時代までは平凡な選手だったという。
「バスケットボール、サッカーもやっていた。そのあとは野球とバスケに絞って、冬にはバスケ、春からは野球をやるサイクルになったね。小さい頃に複数のスポーツをやっていたことは、運動能力を保つのに役立ったと思う。バスケでの素早い動きなんかはマウンド上でも間違いなく活きているね」
身長193センチで長い手足を持つが、ピッチャー返しも機敏に反応。2023年にはゴールドグラブに輝いた守備能力の裏には、幼少期の経験が生きていた。
「(中学時代は)それなりにやれていたとは思うけど、一番ではなかったし、平均的なレベルだったと思う。マウンドに上がっても相手を圧倒するというわけでもなく、だたストライクを投げられる投手、という感じだった」
劇的に才能が開花したのは高校生になってからだった。1年生(日本では中学3年生にあたる)の時は身長175センチ、球速は80マイル台半ば(約136キロ)だったが、成長期で身長が急激に伸びたこともあり、3年時には90~92マイル(約144~148キロ)になった。
「4年生になる前、バスケを辞めたからトレーニングに専念出来るようになったんだ。それで15ポンド(約6.8キロ)ほど筋肉を増やした結果、7イニングを通して95~98マイル(約152~157キロ)を投げられるようになってね」
一気にドラフト上位候補に躍り出ると、ジャイアンツが1巡目(全体6位)で指名。大学への進学予定を取りやめ、プロ選手になった。
マウンドではいかなる時もポーカーフェイス。本塁打を打たれようと、プレーオフのマウンドで三振を奪っても、マウンドでは表情を変えない。これには兄から学んだ教えが生きていた。
次男のアダムさんは、2001年から4年間ヤンキース傘下でプレーした投手だった。怪我のため選手生命は短かったが、オフには実家に帰省し、当時中学生だったザックにアドバイスを授けた。その言葉は、メジャーでプレーする右腕の礎となっている。
「『セカンドがエラーをしてランナーが出ても、味方を責めるような態度をとるな。冷静さを保って、感情を表に出すな。次の打者から三振を奪え』ってね。これが、高校以降のメンタル面で非常に助けになっているんだ」
円熟味を増す寡黙なエースが、個性的なスターが揃う強豪球団を背中で引っ張っている。
(上野明洸 / Akihiro Ueno)