リーグVの裏で“蚊帳の外” 26歳で動かなかった体…飾れなかった大先輩の花道

プロ4年目の西田真二氏を襲った絶不調
Vシーズンもコンディションが……。1986年、阿南準郎監督体制になった広島はリーグ優勝を飾った。西武との日本シリーズは初戦引き分け後、3連勝と王手をかけながら4連敗。この年限りで現役を引退した山本浩二外野手の花道を飾れなかったものの、“新生赤ヘル”を感じさせた。そんな中、プロ4年目の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は絶不調。「あの年は体調不良で練習ができなかった」と唇をかんだ。
阿南監督となり、いきなりリーグ優勝した1986年、西田氏は25試合の出場で21打数4安打、0本塁打、5打点の成績に終わった。いずれもプロ入り以降、最低の数字だった。「阿南さんは思いやりがある方でね。チームは優勝したんだけど、その年の僕はちょっと体調が悪くて、あまり出ていないってところで……。まぁ、今で言えばIL、故障者リストに入ったようなものでしたね」。
過去3年は、代打起用が中心ながらも時折、スタメンでも登場していたが、4年目はスタメンなし。開幕2戦目(4月5日の中日戦、広島)に代打で出場したが、シーズン初安打は4月28日のヤクルト戦(広島)。以降もなかなか結果が出ず、シーズン2安打目をマークしたのは6月3日の大洋戦(横浜)だった。7月下旬からは2軍調整となり、1軍に戻ったのは9月下旬だった。
PL学園時代から腰痛を抱え、コンディション維持には神経を使ってきたが、この年はそれがうまくいかなかったのかもしれない。「まぁ、そういうのもあって……。うん、その辺はあったね。とにかく練習ができなかったんで……」。西田氏は、不調原因について、あまり多くを語らなかったが、チームが巨人とのマッチレースを制して優勝したなか、不本意な成績に終わった悔しさは相当なものだったようだ。
ましてや、法大の先輩で入団以来、お世話になった山本浩二外野手の現役ラストシーズン。その年に思うようなプレーができなかったのだから……。日本シリーズでも出番はわずか1打席。第6戦(10月26日)の7回に代打で起用され、“オリエント・エクスプレス”郭泰源投手から左前打を放った。「打ったのはスライダーかな。詰まってね、カンチャンみたいな……」と苦笑した。だが、懸命に前を向くよう心がけた。
どん底のシーズンを糧に鍛錬、5年目にスタメンで起用されるなど活躍
「日本シリーズのベンチに入れてもらって、あそこで使ってもらったのも、次の年につなげてほしいということだと思ったしね。年もまだ若かったからね。26でしょ。球団としても“ドラフト1位で取ったのに、もうちょっと頑張ってくれよ”っていうね、叱咤激励もあったと思うんでね」。そんなどん底のシーズンを糧にして、もう一度やり直した。
「体力的な問題は多少、あったかもしれないけど自分では工夫した。バットを短く持ったりもしたし、バッティングフォームをいろいろ変えたりした」。プロ5年目の1987年は62試合、73打数20安打、1本塁打、9打点。9月21日の巨人戦(広島)では3番右翼で起用され、4打数2安打2打点と気を吐いた。スタメンは1985年9月12日のヤクルト戦(神宮)以来で、阿南体制では初めてのことだった。
「あの頃は『トラ(西田氏の愛称)は集中力が続かないから、お前はやっぱり代打やな』ってコーチ陣からも言われていましたけどね。まだ若かったのに(阪神のベテラン代打)川藤(幸三)さんみたいな感じで(笑)」。実際、西田氏も代打で力を発揮することを第一に考えていた。だが、その気持ちは、この後、変化を見せる。カープの4番打者として活躍するなど、新たな挑戦の時が近づいていた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)