「ワオ、愛してくれている」 ヤクルトの元助っ人がファンに感謝、大好きな日本食「丸いやつだ…何だっけ」

オリオールズでプレーするアルバート・スアレス【写真:荒川祐史】オリオールズでプレーするアルバート・スアレス【写真:荒川祐史】

オリオールズのアルバート・スアレス「一番の思い出は日本一」

 2021年までヤクルトに在籍したアルバート・スアレス投手は、現在オリオールズのブルペンで活躍している。NPBでは日本一も経験。「行ってよかったと思っているよ」。東京で過ごした日々は思い出深い。

「良いチャンスがあるぞ。日本のチームが君を欲しがっている」

 メジャーで登板なしに終わった2018年。代理人から提案を受けた。当時、弟ロベルトはソフトバンクでプレーしており、関心がないわけではない。興味を示しているのが東京にあるヤクルトというチームだと聞くと「よし、行こう」と快諾。異国での挑戦が始まった。

 1年目は怪我もあって4試合の登板に終わったが、2020年は12試合に先発して4勝4敗、防御率2.67を記録。離脱した期間もあったが、最下位となったチームの中では試合を作れる先発として存在感を見せる。2021年には先発、リリーフで日本一に貢献した。

「スワローズのファン。彼らは本当に、本当に素晴らしいよ。ワオ、この人たちは本当にチームを愛してくれているんだなって思った」

「一番の思い出は、チャンピオンシップ(日本一)だね」と即答する。最初の2年は最下位。3年の間にどん底と頂点を経験した。途中コロナ禍にも見舞われたが、目に焼き付いているのが熱心に応援するファンの姿だった。

「よかったよ。試合中ずっと応援してくれるんだからね。いい経験だった。試合を通してずっとだよ。それに、僕がいた最初の2年間はチームの成績があまり良くなかったんだ。それなのに、ファンはスタジアムに足を運び続けてくれた。本当に嬉しかったよ。だからこそ3年目は、『僕らもファンのためになんとかしなくちゃ』とみんなで奮起したんだ。だから、粋な経験だったよ」

思い出深い“東京の街”「いろんな所へ行った」

ヤクルト時代のアルバート・スアレス【写真:荒川祐史】ヤクルト時代のアルバート・スアレス【写真:荒川祐史】

 住んでいたのは神宮球場が近い表参道。「とても素晴らしい場所だったよ。良い時間を過ごせた。シブヤにはよく行ったね。あとアサクサ、ウエノ……」。東京の都市名をスラスラ口にする。「あとは時々、ロッポンギーだね!」とニヤリと笑った。「イケブクロとか。街を知るためにいろんな所へいったよ。ゴタンダだっけ? あそこにはスペイン系の食材が手に入るスーパーがあってね」。電車に乗り、様々な場所を訪れていたという。

 各地で食事も満喫した。「日本の食べ物は全部好きだった。ラーメンだったり、あとは……名前が思い出せないな。あの丸いやつだ……何だっけ。広島で食べられるやつ。そう、お好み焼きだ! とっても美味しいよね」。

「神戸に行ったらコウベギュウだ。タン、カルビ……。渋谷の駅の近くにある銀座のステーキという店もお気に入りだった」

“再来日”も熱望「日本に行った時はコロナ禍だった」

37歳になる今季も投げ続けている【写真:ロイター】37歳になる今季も投げ続けている【写真:ロイター】

 ヤクルトを退団した後は、韓国球界を経て2024年にオリオールズへ。32試合(24先発)で自己最多となる9勝をマーク。再契約を経て、37歳になる今季もオリオールズでプレーする。

「日本で学んだ多くのことを、今でも試合で生かしているよ。例えば、毎日の試合に向けて筋肉を常に良い状態に保つために、ルーティンとしてストレッチをたくさんすることなんかはそうだね」

 ヤクルト時代のチームメートとは、今でも何人かとは連絡を取り合っているという。「本当にみんないい人たちだった」。当時2軍監督だった池山隆寛氏が1軍の監督になったことも知っている。

「いつも僕に『ヘイ! エンジョイ! エンジョイ!』って言ってくれたんだ。彼からはいつもその言葉をもらっていた。僕が2軍にいた時はいつも、『エンジョイ、ガンバッテ!』という感じで言われたことを覚えている」

 またいずれ、東京を訪れたいと笑顔をみせた。「僕が日本に行った時はコロナ禍だったんだ。だからコロナではない時に行ってみたい。すべてが普通の状態で、何か違いがあるのか見てみたいんだ。きっと違いがあるはずだからね」。日本への愛着を胸に、マウンドに立ち続ける。

(上野明洸 / Akihiro Ueno)

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