ドラ6から名球会入り…“想定外”だった覚醒 2軍落ちに猛反対、コーチの決死の思い

元広島・西田真二氏【写真:山口真司】
元広島・西田真二氏【写真:山口真司】

元広島の西田真二氏がコーチ時代を振り返った

 元広島4番打者の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は1999年シーズンからの広島・達川光男監督体制で1軍打撃コーチとして入閣した。1995年限りで現役を引退し、3年間の野球評論家業を経ての指導者人生のスタートだった。いろんな思い出があるなか、強く印象に残っているのは駒大から1998年ドラフト6位入団の新井貴浩内野手(現広島監督)のことだという。「あそこまでの選手になるとは思っていなかったけどね」と感慨深そうに話した。

 達川カープの1軍打撃コーチに就任した西田氏は背番号88をつけた。「末広がりの8、8だし、(法大)先輩の(山本)浩二さんの(広島監督時代の背番号)88ってこともあってね」。1軍の投手コーチは大野豊氏と川端順氏、内野守備走塁コーチは正田耕三氏と気心の知れた先輩、後輩とともに達川監督を支えるべく、再びカープのユニホームに袖を通した。「この頃のチームも転換期で達川さんも大変だったと思いますけどね」。

 ヘッドコーチは“鬼軍曹”大下剛史氏が務め、厳しい指導で幕を開けた。「試合が終わった後のスタッフミーティング、大下さんは長いんでね。みんな早く寝たいんだけど、食事しながら3時間くらい、飲んでね。鍋が熱いとか、ビールが冷たいとか、いろいろあったけど、それもいい思い出だね」と西田氏は笑みを浮かべた。「我々が選手の時に大下さんはこういうことを思いながらやっていたんだなと思った。厳しい中に愛情があった。それが時代に合っていたかは別にしてね」とも話した。

 そんな指導者1年目に出会ったのが当時ルーキーの新井だった。「よく覚えているのは彼が1年目で甲子園の右中間に放り込んだことだね」という。その後、調子の上がらなかった新井の2軍落ちが検討された際には大下ヘッドに“待った”もかけたという。「あの甲子園のホームランを見たらやっぱりね。それに、あいつ、元気があったし、声も出していたし、体も強かったし、バカもできたんですよ。で、そういうことを大下さんに話したら“わかった”って言ってくれたんです」。

金本と緒方にも衝撃…控え時代から著しく成長

 西田氏が2軍落ちを止めなかったら、新井のその後の野球人生も変わっていたかもしれないが「それはわからないよ。2軍で鍛えてまた上がって、ってなっただろうし……」と話す。「それにね、あの時の大下さんは新井についてコーチ陣がどんな反応を示すか、試したんじゃないかなぁ。忖度していたら『仕方ないですね』っていうところだったけどね(笑)。まぁ、正直、あそこまでの選手になるとは思っていなかった。でも、新井はよくバットを振っていたし、性格が本当に素直でしたよ」。

 さらに懐かしそうにこう付け加えた。「バッティングコーチになってびっくりしたのは、カネ(金本知憲外野手)とメグ(緒方孝市外野手)。“こんなにバッターとして成長していたんだ、ウワー、これだけ打球が伸びるバッターになったんだ”って思ったね。(1995年の現役引退以降)解説者として外からは見ていたけど、それはコーチになってみないとわからないと思う」。かわいい後輩でもある金本、緒方の控え選手時代をよく知っているだけに、たくましくなった姿には心を打たれたそうだ。

 残念ながら達川カープは2年連続5位で終了。3年契約だった西田氏は、山本浩二氏が現役時代の栄光の背番号8をつけて監督に復帰した2001年シーズンで2軍打撃コーチを務めた後、広島を退団した。そこから2年間、評論家として活動し、2005年に四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツの監督に就任。ここから独立リーグとの縁が始まったが「それも大下さんが紹介してくれたんです。(大下氏の駒大後輩の)石毛(宏典)さんが(四国アイランドリーグ創設者として)やるので『トラ(西田氏の愛称)! 1回、やってみい!』ってね」と明かす。

 未知の世界への挑戦だったが「独立リーグの初期の頃だけど、勉強になりましたね」という。愛媛の監督は1年で退任したものの、中谷翼内野手が広島、西山道隆投手がソフトバンクにそれぞれ育成枠で入団するなど、プロへのルートを築いた。2007年からは香川オリーブガイナーズを指揮し、2019年に退任するまでの13年間でチームを5度のリーグV、3度の独立リーグ日本一に導いた。赤ヘルで代打の切り札や4番打者を務めた西田氏は、広島コーチ時代の経験も財産にして、香川で“名将の道”を歩んでいった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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