甲子園V→ドラ1入団も…「もう無理だ」 2軍で覚えた“絶望”「本当に場違い」

田中健二朗氏は2007年の高校生ドラフト1位で横浜に入団した
常葉菊川高(静岡)のエースとして2007年の選抜高等学校野球大会を制した田中健二朗氏は、その年の高校生ドラフト1位で横浜(現DeNA)に入団した。プロで待ち受けていたのは想像をはるかに超える世界。「もう無理だと思いました」と絶望したほどのレベルの差だった。
選抜優勝左腕として注目された田中氏のもとには12球団からの調査書が届いていたという。それでも自身が1位で指名される“未来”はまるで見えていなかった。
「僕の元には事前に何の情報もなかったし、新聞に予想が出るじゃないですか。自分なんてとてもじゃないですが1位予想もされていないし。(大阪桐蔭高の)中田翔はどこどこの1位みたいな感じで出たりとかするから『うわ、すげえな』とか思っていました」
実感のないまま迎えたドラフト当日、「放課後に掃除をしている時に校長室に呼ばれて『決まったよ』って言われました」。横浜の「外れ外れ(佐藤由規→高浜卓也)」ながらも1位指名だった。「外れ1位だったので、自分が本当に1位でいいのかなとか思ったのを覚えています」。こうして田中氏のプロ入りが決まった。

1年目でいきなり怪我…登板機会なく「情けない」
ドラ1として注目されたが、すぐに肩を痛めて1年目は1、2軍での登板機会はなかった。焦りはなかったというが、試合でプレーできる状態ではないのに頻繁に記者から話しかけられることに戸惑いを覚えた。各球団に担当記者がいることも知らなかった。
「毎回同じ顔ぶれの記者さんが来て、投げていないのに話を聞かれる。1位で獲ってもらったのに何もできなくて、なんか情けないな、とは思っていました」。さらにプロの先輩たちのインパクトも18歳を弱気にさせた。
「もう無理だと思いました。いろいろな意味で。ブルペンで投げる球がエグい。“こんな人たちが2軍なの?”と。自分なんかが、いていいレベルじゃない。やれる自信なかったですよね」
中学、高校時代まではチームメートが最大で2歳上までだった環境が一変。「いきなり10歳、15歳上の人たちがいる世界に飛び込んで、なんじゃこれって感じですよ(笑)」。ブルペンキャッチャーが受ける捕球音にすら圧倒された。「“バシーン!”ってすごい音を鳴らすわけですよ。それにもビビりました。本当に場違いだと思いました」。
放課後の掃除中に告げられたドラフト1位指名は、まさに自身にとっては“異空間”への入口だった。1年目の絶望をくぐり抜けると、少しずつ対応しはじめ、最終的にはNPBで通算274試合に登板した。2025年限りで現役を引退するまで、長くブルペンを支え続けた。
(湯浅大 / Dai Yuasa)