オリックスで、今年だけで6人の投手がトミー・ジョン手術(TJ手術)を受ける“異常事態”となっている。エースの宮城大弥、山下舜平大らに加え、将来を嘱望されるドラフト1位ルーキー・藤川敦也も決断を下した。そんな中、高校時代にTJ手術を受けし、長いリハビリを経てプロ入りしたのが、ドラフト3位ルーキー・佐藤龍月(りゅうが)だ。
佐藤龍は健大高崎高の2年春の2024年選抜大会で優勝に貢献したが、夏の群馬大会で左肘を痛め、TJ手術を決断。2年の夏という伸び盛りの時期でのTJ手術は、高校野球生活を棒に振るリスクすらある重い決断だが、佐藤龍は冷静だった。
「一番大きいのは、その年の春に選抜で優勝できて、甲子園で優勝するという誰もができるわけではない経験ができたこと。もちろん、自分たちの代でも優勝を目標にやっていたし、やりたかった。でも、この痛みでずっといるのも嫌でしたし、監督に相談して『やっていいよ』と言っていただいたので、決断できました。あの時期にやったからこそプロ入りできたと思っています」
3年秋秋のドラフトまでに復活する――。その時、既にプロの世界を見据えていた。そんな自信が、前へ突き動かした。「手術直前に担当医から『右手首から腱を取りますね』と言われていたのに、麻酔が効いて寝て起きたら左手首から取られていました(笑)。左の腱の方が強かったみたいで。その時に来年の夏までに復活できるって、謎の自信がありました」。
2軍で5試合に登板…8回を投げて2安打9K無失点、防御率0.00の好成績
手術を終え、待っていたのは地道で過酷なリハビリの日々。患部に負担をかけないよう、重りを持たずに腕を伸ばしたままスクワットを繰り返す。少しずつ可動域を広げていく作業は、痛みと恐怖との闘いでもあった。だが、肉体的な痛み以上に苦しかったのは、グラウンドで躍動する同級生たちの姿だった。
「僕が練習にも参加できない時に、同級生の石垣(元気投手、ロッテドラフト1位)や下重(賢慎投手、中大)がめっちゃ活躍していたんです。もちろん嬉しい気持ちはあったんですけど、心の底ではめっちゃ悔しいっていう…。そういう部分では、すごく辛かったです」
汗と土にまみれる仲間をフェンス越しに見つめながら、己の足腰を徹底的に鍛え上げた。TJ手術を受けると球速が上がるとよく言われるが、それは努力なしでは実現できない。
「靭帯が強くなる分もあると思いますが、その間に体を鍛えたり、下半身の使い方など色々と学んだりする機会があった。そこで僕は変われたのだと思います」
孤独な時間が、左腕の土台をより強固なものに変えていた。「手術からちょうど2年なんです」。プロ入りを果たした今、ようやく左肘の違和感が消え、「しっくりくる」感覚が戻ってきたという。2軍では5試合に登板し、計8回を投げて2安打9奪三振無失点で防御率0.00。十分な登板間隔を空けながら着実に成長しているが、本人は決して満足していない。
出力は以前より上がり、力強いボールが投げられている。だが、スライダーやカーブの抜けなど、指先の繊細な感覚は「手術前の方が良かった」と自己分析する。それでも焦りはない。一歩ずつ、かつての自分を超えていく作業を続けている。
TJ手術を受けたD1位・藤川敦也へ「他愛もない話を積極的にするようにしていました」
そんな折、ある知らせが届いた。ドラフト1位で入団した同学年の藤川が今月、TJ手術を受けた。150キロ前後の直球を武器に、2軍で8試合計16イニングを無失点と完璧な投球を見せていた右腕だが、右肘に違和感を覚え、6月中旬から登板はなかった。藤川もまた、長く孤独なリハビリの領域へと足を踏み入れた。
藤川が決断できずにいた時期、選手寮で佐藤龍はあえて野球の話を避けた。「彼も一人で抱え込んでいたと思うので、そっちの話題は出さずに、他愛もない話を積極的にするようにしていました」。同じ傷を知る者だからこその、不器用ながらも温かい優しさだった。
これから過酷なリハビリを始める同期へ、先輩経験者として伝えたいことがある。
「やっぱり焦っちゃうと、『早く復帰したい』という気持ちが強くなると思うんです。でも、そこで焦ると逆に(復帰が)先延ばしになってしまう。僕もそこは我慢してやってきて、いい結果になったので、それだけは言えるかなと思います。リハビリの過程だったり、トレーニングだったりは大体分かっているので、何かあれば力になりたい」
絶望を知り、己の現在地を踏みしめながら這い上がってきた19歳の言葉には、確かな重みがある。いつか1軍のマウンドで、ともに腕を振る日のために――。