「野球ダメだな」 創部1年4か月で甲子園出場も苦い記憶…“劣等感”から挑んだ弁護士の道

遊学館1期生として甲子園に2度出場、ベスト8も経験した高根和也さん
高校生活3年間のほとんどの時間を費やし、白球を追いかける。しかし球児たちの“ゴール”はプロ野球選手だけではない。野球に打ち込んだ経験を生かし、さまざまなフィールドで羽ばたく今に迫る連載「高校野球のその先~元球児たちの履歴書~」。第1回は遊学館高(石川)1期生として甲子園に2度出場し、現在は弁護士として活躍する高根和也さん。
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今夏、母校は11年ぶりに聖地に帰ってきた。初戦突破とはならなかったが、高根さんもアルプス席から後輩たちの戦いを見届けた。「同窓会みたいなものですから」。苦楽をともにした仲間たちとも再会し、懐かしい空気を吸い込む。この場所は、今の自分を形成した“原点”でもある。
能登半島の最先端に位置する石川県珠洲市出身の高根さんは、イチロー氏に憧れ、中学1年時に野球を始めた。当たり前のように「プロ野球選手になりたいと思っていました」と振り返る。中学3年時、山本雅弘氏が翌年から遊学館の監督に就任し、一から野球部をつくるという話を聞いた。「それ以上の環境はあまりないだろうなと思って、ほかを検討することなく即断みたいな感じでした」と進路が決まった。
上級生はいない。1年生20人だけで始まった野球部。しかしすぐに“現実”を知った。「入って1か月くらいしか経っていない5月のゴールデンウイークにはもう、周りの才能と自分を比べて『あ、自分は野球ダメだな』ってわかったんです。そんなとき、全国レベルのほかの部活動で主将を務めながら特進クラスで勉強も頑張っている先輩のことが格好いいと思いました。“やりたいこと”だけではなく“やらなければならないこと”にも真剣に向き合っているのが理由だと考え、自分のやりたいことが野球なら、自分がやらなければならないことは勉強だと思ったんです」。野球部の練習と並行しながら、メンバー入りしている部員では唯一、3年間特進クラスに通った。
野球部は旋風を巻き起こす。当時史上最速の創設わずか1年4か月で、2年夏に甲子園に初出場してベスト8と躍進。3年春の選抜にも出場した。聖地を席巻した“主役”の一人だった高根さんだが、「成功体験はあまりないんですよ、正直。甲子園は挫折の記憶でしかないんです」と苦笑いで首を横に振った。

「ああいう舞台で活躍する人が持ち合わせている要素を僕は持っていない」
転機となったのは、背番号9を背負った3年春の選抜初戦・近大付高戦だった。大会前まで絶好調で「6番・左翼」での先発を勝ち取った。「ですが、ことごとくチャンスで回ってきて、ことごとく凡退。5点先制したけど追いつかれて、そこで雨で中断になって再試合になったんです。再試合で当然、僕はスタメンを外れるじゃないですか。代わりの選手が出たら16点取ったんです。ということは、僕がいないほうがいい。そういうことを目の当たりにして、ああいう舞台で活躍する人が持ち合わせている要素を僕は持っていないんだろうなと。改めて『自分がやらなければいけないことは、やっぱり野球じゃないんだな』と強く思った出来事になりました」。
野球部を引退後、勉強に力を入れた。「大学とか目標があってやっていたというより、自分を律することが目的だった気がします」と明かすように、早大受験は意外なキッカケだった。「特進クラスにいろいろな大学のポスターが貼ってあって、早稲田のものが一回り大きくて……成り行きで受けることになったんです」と笑う高根さん。受験したのは早大の法学部と教育学部のみ。ともに吉報を掴み、周囲に相談した結果、法学部に入学することになった。
入学後、誘いを受け野球部で2か月ほど練習参加したこともあったが、「もう燃え上がるものはなくて、やはり続かなかったです」。ここで野球にキッパリ別れを告げた。次へと歩み出すとき、高根さんの心に火が灯った。
「先輩がいない特殊な環境で、高校3年間はすごく成長できました。野球を続けていく人たちは今後さらに成長していくだろうけど、自分は野球を辞め、一番の成長材料になっていたものがなくなってしまった。それに高校時代を思い返すと熱狂の渦の中にいた。このままでは自分の人生のピークが高校時代になってしまい、それが人の力で成し遂げたものだと感じました。誰も経験していないことを経験したことで生まれた劣等感を自分なりに超えようとすると、世の中で一番難しいものに挑戦しなければならないと。今考えると“難しいもの”は世の中に溢れていますが、当時は『一番難しいものって何だろう』と考えた結果、司法試験に合格して弁護士になることだと思ったんです」
合格率約3%だった旧司法試験合格を目指し、司法試験予備校との“ダブルスクール”を始めた。毎日朝7時から夜10時まで、ひたすら勉強。土日も、お盆休みも、年末年始も関係なかったが「野球をやっていたときもそうだったので、休みという概念はあまりなくて、そういう生活に慣れていたんです」とどこ吹く風だった。とはいえ超難関試験だ。旧司法試験の合格は叶わず、その後、慶大の大学院法務研究科を修了し、新司法試験の合格を果たした。
主に係争ごと、企業の不正調査などを担当「やりがいはすごくありますね」
険しい道程を乗り越えられたのには、理由がある。「最近ようやく無くなりましたけど、当時はコンプレックスがすごかったので、自分に価値を与えたいと思って司法試験をやっていたんです。そのものすごく大きなコンプレックスが原動力になっていました。高校野球に、自分がやらなければいけないものはこれだなっていう思いを持たせてもらい、コンプレックスを払拭しようと徹底的に他のいろいろなものを捨てて集中するみたいな。そういう思いを持たせてもらいましたね」。高校3年間の経験が糧となった。
2012年に弁護士登録(第二東京弁護士会)して、14年のときが経つ。都内にある「あさひ法律事務所」のパートナー(共同経営者)として、主に訴訟などの係争ごと、企業の不正調査などを担当する。2013年にはNPBの統一球問題における有識者による第三者調査・検証委員会で委員長補佐を務めた。仕事の話になるとグッと表情を引き締め「世の中にたくさん弁護士がいる中で、仕事を任せてもらうには、全人格を見られている感じがします。任せてもらって信頼関係を築いて、自分が培ってきた専門性をもって難局を改善する、依頼者の人生をいい状態に持っていくためのお手伝いができる仕事だと思います。やりがいはすごくありますね」と誇らしげに言った。
弁護士という道を切り拓いた高根さんは、野球に打ち込んだ先に待っている限りない可能性を口にする。
「野球の技術は野球をやっているときにしか役に立たないですが、高校野球を通じて得たものは、例えば物事に真剣に、徹底して取り組む力とか、単純にいうと頑張る基礎体力だと思います。それを持って社会に出て何をするか。頑張る力はどんな分野にも汎用性があって、なるべく強く育てることができれば社会に出てからの基盤になる。そういうものを生かしていろいろなことができるんじゃないか。野球を辞めたあとに残っているものが、たぶん野球で得たものだろうなと思っています」
目標を定めても、きっと簡単には成し遂げられない。そこでもまた、培ってきた強みが生きる。「真剣にやった結果挫折した経験のある人は、きっといろいろな分野で頑張れると思うんです。社会に出れば挫折は当たり前だし、その中で諦めずに取り組むという僕の基礎体力、基盤が高校野球を通じて築かれたものであることは、間違いないと思います」。周囲には“栄光”に映る高校時代の挫折が、高根さんの人生を彩った。
(町田利衣 / Rie Machida)
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連載:「高校野球のその先〜元球児たちの履歴書〜」
甲子園を目指し、白球に青春のすべてを懸ける高校球児たち。卒業後、プロの舞台に立てるのはごくわずか。大多数の球児は、新たな道を切り拓いていく。グラウンドで得た“学び”は、人生にどう息づいているのか。栄光の裏にあった挫折、胸に秘めていた本音、そして後輩たちへ伝えたい言葉。高校球児たちの「その後」を追う連載。
企画協力:勝亦陽一(東京農業大学)