阪神首脳陣に“違和感” 「無謀」起用の悪影響…元大砲が抱えた葛藤「僕でいいのかな」

元阪神の八木氏が振り返る飛躍を遂げたプロ3年目
元阪神スラッガーの八木裕氏(野球評論家)は、1989年のプロ3年目に102試合に出場し、16本塁打、40打点をマークした。打率は271打数58安打の.214だったが「パワーがついたので、方向性はそっちだなと感じたシーズンだった」と話す。その一方で、主に遊撃手で起用された守備位置に関しては違和感があったという。この年は12失策。「このまま僕がショートでいいのかって、ずっと思っていました」と苦笑した。
プロ3年目の八木氏は開幕戦(4月8日、広島戦、広島)に田尾安志外野手の代走でシーズン初出場。その後は、しばらく代打、代走での出番が続いた。4月29日の広島戦(甲子園)に「8番・三塁」でスタメン起用されて3打数1安打だったが、次の試合は途中から三塁に入って1打数無安打。「3年目の最初の頃はちゃんとしたポジションで出たって記憶がないんですよ」というように、守備に就く際は左翼や遊撃もあり、固定されていなかった。
レギュラーに定着したのは5月下旬。5月28日の広島戦(甲子園)で川口和久投手から1号、31日のヤクルト戦(神宮)で宮本賢治投手から2号、6月3日の巨人戦(東京ドーム)では木田優夫投手から3号を放つなど長打力で見せはじめた。「掛布2世」と呼ばれるなど、売り出し中の若虎として注目も集めた。
前年(1989年)に八木氏は、1Aフレズノ・サンズへの野球留学を経験。米国投手のスピードボールに対抗するため、筋力トレーニングなど肉体改造に励んだことで、飛距離が大幅にアップするなど、一気にパワーヒッターに成長した。当初こそ「帰ってきたら日本のピッチャーの球が遅すぎて合わなかった。変化球が遅すぎてクルクル。苦労しました」というが、慣れてきたら、パワーが上乗せされた打棒が爆発しはじめたわけだ。
「打率は悪いですけど、特に終盤はホームランがよく出るようになりましたからね」。8月31日の巨人戦(甲子園)からは3試合連続本塁打。それまで打順は主に7番か8番だったが、9月7日のヤクルト戦(神宮)ではプロ初のクリーンアップを経験。3番・岡田彰布内野手、4番・セシル・フィルダー内野手に続く5番を任された。9月17日のヤクルト戦(甲子園)ではプロ初の2桁10号本塁打に到達した。
遊撃起用に違和感「僕がショートでいいのかなって」
10月11日の中日戦(ナゴヤ球場)では西本聖投手から1試合2発。10月15日の大洋とのダブルヘッダー(甲子園)では第1試合に15号、第2試合では16号サヨナラ本塁打を放った。「(阪神は5位で)その頃は消化試合も甚だしく、全然盛り上がらないサヨナラホームランでしたけどね」と八木氏は話したが、打撃に関しては確実に手応えをつかんだ。「自分は長打を期待されて、出なきゃいけないんだなっていうのは認識しました」とプロで生きる道も定まった。
ただ、その一方で、「ムチャクチャ、違和感があったんですよね」と口にしたのが守備位置だ。この年は三塁や外野も守ったが、レギュラー定着以降のメインは遊撃手。名手・平田勝男内野手(現阪神2軍監督)を差し置いてのことだったが「アメリカ(留学)でも結構、ショートをやらせてもらっていたんですけど、決してうまいとは思っていなかったですしね。だって僕は社会人(2年目)から内野をやり始めて、もともとは外野かピッチャーだったんですから」と首を捻った。
16本塁打を放ったものの、打撃には好不調の波もかなりあった。遊撃守備の負担が無関係ではなかったようで「ホントに僕がショートでいいのかなって。そういう違和感が、あの年はずーっとありました」と話す。八木氏は翌1990年に初めて規定打席に到達し、28本塁打をマークするなど飛躍を果たすが、これは守備位置が三塁に固定されての結果。「僕にショートは無謀だったと思いますよ」と笑った。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)