“王2世”が59歳でBリーグ社長へ 40年前の2発が生んだ“結び”…忘れなかった元広島右腕の一言

インタビューに応じた群馬クレインサンダーズ社長・阿久沢毅【写真:松本洸】
インタビューに応じた群馬クレインサンダーズ社長・阿久沢毅【写真:松本洸】

「俺は阿久沢しか知らない」…vsPL学園で元広島の金石氏から2発

 1978年春の選抜甲子園で、王貞治(早稲田実業)以来20年ぶりとなる2試合連続本塁打を放ち、“王2世”と呼ばれた桐生(群馬)の阿久沢毅。プロには進まず、教員として35年を過ごした男は、定年を目前にした59歳で男子プロバスケットボール「Bリーグ」の群馬クレインサンダーズ社長へ転身した。野球一筋の人生から、なぜ異競技のトップへ――。そのすべてを繋げたのは、野球が生んだ「結び」だった。(全5回連載5回目)

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 選抜でベスト4入りしてから約3か月後の1978年6月、桐生は大阪遠征でPL学園との招待試合に臨んだ。しかし遠征先では前夜から雨が降り続き、翌朝になっても日生球場のグラウンドには水たまりが残っていた。係員による懸命な整備を経て、予定されていた一戦は行われることになった。

 相手のマウンドに立ったのは、のちに広島、日本ハム、巨人で活躍する超高校級右腕・金石昭人氏だった。「雨でできないと思って、みんなで夜更かししていたんですよ(笑)。それでも試合が始まったら、金石君からホームランを2本とレフト前安打。たまに調子がいい日があるんですね」。

 阿久沢氏はそう言って笑った。当時、金石氏の大きな体に驚いた記憶はあったものの、まともに言葉を交わすことはなかった。その後、プロで活躍する姿は知っていたが、相手が一度対戦した自分を覚えているとは思っていなかった。何のつながりもない――はずだった。

 ところが、2本のアーチは、打たれた金石氏の記憶に残っていた。

 時が流れ、群馬クレインサンダーズの新たな経営体制づくりに携わっていた吉田真太郎GMが、旧知の金石氏に新社長候補について相談した。群馬に縁があり、スポーツを知る人材はいないか。その時、金石氏が口にしたのが、他でもない阿久沢氏の名前だった。

「俺は阿久沢しか知らない」「あの世代で本当に凄かったのは阿久沢だ」

 両者の間に入ったのが、高校時代に桐生のエースを務めた木暮洋氏だった。木暮氏は早大、東芝でプレーし、東京六大学時代からPL学園出身者と交流があった。その縁で金石氏とも面識があり、一本の電話が阿久沢氏へとつながった。

「木暮から突然、『社長をやらないか』って連絡が来て、『相変わらず唐突だな。何を言っているんだ』と思いましたよ(笑)。サンダーズのことは知っていましたけど、興味は全然なかった。定年まであと1年でしたし、『違うことをやってみるのもいいかな』。最初はそんな程度でした」

 後日、阿久沢氏は都内のホテルで金石氏と顔を合わせた。高校時代の招待試合以来、初めてまともに会話を交わしたという。全国に名をとどろかせた甲子園での本塁打ではない。一度きりの練習試合で放った2本が、40年以上の歳月を経て第2の人生への扉を開いた。

群馬クレインサンダーズ社長・阿久沢毅【写真:松本洸】
群馬クレインサンダーズ社長・阿久沢毅【写真:松本洸】

転身直後にコロナ禍…駐車場で「お願いだから帰らないで」

 阿久沢氏が転身を決めたのは2019年12月だった。しかし、高校教員としての生活に区切りをつけようとしていた矢先、新型コロナウイルスの感染が拡大。Bリーグは2020年3月、2019-20シーズンの残り全試合を中止した。同年4月からクラブ運営に加わり、7月に社長へ就任。当時の事務所で働いていたのは、わずか11人。入場制限や感染対策など、それまで経験したことのない仕事が次々と押し寄せた。

 同年10月に新シーズンが開幕すると、観戦を待ちわびていたファンが戻ってきた。一方、当時使用していた前橋市の会場は駐車スペースが少なく、来場者の車を収容しきれないこともあった。阿久沢氏も自ら駐車場に立ち、対応にあたった。「せっかく来ていただいたのに、『それなら帰る』と言われてしまうんです。『申し訳ありません』『お願いだから帰らないでください』と頭を下げました」。

 教壇とグラウンドしか知らなかった阿久沢氏にとって、プロスポーツの経営は未知の連続だった。それでも、肩書きで仕事の範囲を決めることはなかった。問題が起きれば現場へ出て、自分にできることから手を付けた。

 阿久沢氏をクラブ社長へ導いたのが高校野球の一戦なら、そのクラブの未来を大きく変えたきっかけも、また高校野球だった。

高校野球が再びつないだ縁…新アリーナ誕生の舞台裏

 2019年夏の群馬大会、桐生南-市太田戦。桐生南OBのオープンハウスグループ・荒井正昭社長と、太田市の清水聖義市長が、同じ球場を訪れていた。母校を応援する荒井氏と、地元校を見守る清水市長。そこで交わされた会話が、後の新アリーナ構想へ発展したという。

「その時に、お二人の間で『太田に新しいアリーナを』という話が出たそうです。そこからトントン拍子で進んだ。すごいスピード感ですよね」。社長就任1年目、群馬クレインサンダーズはB2優勝とB1昇格を達成。その後、本拠地を太田市へ移し、2023年にはオープンハウスアリーナ太田が完成した。

 太田は、阿久沢氏が高校教員として最初に赴任した土地でもある。30年以上の時を経て戻ると、かつての教え子たちは市役所などで責任ある立場を担う年齢になっていた。高校教師として築いたつながりも、畑違いの世界へ飛び込んだ阿久沢氏を支えた。

 クラブは2024-25シーズンに初めてチャンピオンシップへ進み、翌2025-26シーズンも出場。2年連続で日本一を争う舞台に立った。社長就任後の順風満帆にも見える歩み。阿久沢氏は「社長の力ではなく、選手が頑張って、GMが一生懸命チームを作ってくれたからです」と周囲を称える。

 2026年9月には、新たなトップカテゴリー「B.LEAGUE PREMIER」が幕を開ける。そこで見たい景色も、明快だ。「群馬の人たちにもっと知ってもらい、もっと熱量を上げてもらいたい。そのためには、一番になることが一番いい。まだ会場で見たことがない人には、『とにかく一度、現物を見てくれ』と言っています」。

 その「一番」を目指す現在地から歩みを振り返れば、阿久沢氏の人生を動かした節目には、いつも高校野球があった。

 雨が上がらなければ、金石氏との一戦はなかった。その金石氏が2本塁打を覚えていなければ、木暮氏から電話が来ることもなかった。そして2019年夏、荒井氏と清水市長が同じ高校野球の試合を見ていなければ、クラブを取り巻く景色も違っていたかもしれない。

 一つひとつは偶然だった。だが、人が覚え、人が伝えたことで、それは縁になった。“王2世”の第2の人生は、白球が結んだつながりの上にある。

(新井裕貴 / Yuki Arai)

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