西武の鳥越裕介ヘッドコーチ、立花義家打撃コーチが語る栗山巧
西武一筋で25年間を駆け抜けた栗山巧外野手が、8月30日の楽天戦で感動の引退試合を終えた。生え抜きとして最多の2152本の安打を積み重ねたバットマン。かつてライバル球団の指導者として対戦し、現在は西武に所属している鳥越裕介ヘッドコーチ、立花義家打撃コーチはどのようにレジェンドを見ていたのか、その凄みと成長を明かした。
立花コーチは栗山の入団3年目の2004年に西武の打撃コーチに就任した。栗山は同年のレギュラーシーズン最終戦で1軍デビュー。2005年に頭角を現し、84試合出場で打率.297、10本塁打をマークした。
「高校生上がりだったけど、とにかくスイングが強かった。何より練習好きだったよ」。立花コーチが懐かしそうに振り返る。2007年まで西武で指導していたが、秋も春もキャンプでは休日前に「明日お願いします」と決まって声をかけられていたという。
「本当に毎日練習した。当時はやりたい人が(休日練習を)やるというのが基本だったから、やらなくてもいいんだけど、クリが『やりましょう』と言ってくる。土井さん(正博ヘッドコーチ)と2人で練習に付き合っていましたよ」
試合前のミーティングでの強気な発言も、強く印象に残っている。相手投手の対策を確認していると、決まって栗山が言っていたという。
「負けん気が強くてギラギラしていましたね」
過去の対戦で打ち取られた球種、コースを自ら示し「ここを打てなかったから、必ずここ来ますよね? また打てなかったら、攻めて来ますよね?」と何度も確認してきたという。「『絶対に来る』と答えると、その球を狙って打ちにいくんですよ。要するに、前回やられた球を打ってやる、と。とにかく負けん気が強くてギラギラしていましたね」。
この時期は栗山と中村剛也、中島裕之(現・宏之)の両内野手との若手トリオが伸び盛り。「ガンガンやらせていました。何かあったとしてもカブレラやベンちゃん(和田一浩)が助けてくれたから」と、ほぼ制約をかけずにプレーさせていたという。
立花コーチはその後、ソフトバンクで計9年、ロッテで4年、楽天でも1年コーチを務めた。西武が敵となり、栗山の“怖さ”を知ったと明かす。
「難しい球を平気で見送っているんです。やっぱり下が安定しているから打ちにいってもやめる、という打ち方ができる。だから甘かったら打つし、際どいところは見送る。ピッチャーに球数も投げさせる。自分が一緒にやっている時はそういう感じはなかったんだけど、敵としてやっていた時は、年々そういうのが増えていったかな」
「やっぱり関西人で、よう喋るなって感じです」
かつて、敵として栗山の凄さを痛感していたのは鳥越コーチも同じだ。「勝負強かったですよね。いろいろ。ただでは終わらないというか、打席の中でしつこかった。そういうのは思います」と振り返る。
2007年から2017年までソフトバンクのコーチを務めており、脂の乗っている栗山と対戦し続けてきた。試合前の姿も焼きついている。
「もう準備ですよね。やっぱり準備が良かったので。いつも誰よりも早く一番に球場に来ていたので。だから中村晃にも言いました。『見てみい』って。常に一番に来ているよって。そこから晃も一番に来るようになりました。彼は当時、1番を打っていて、クリも多分2番とかでした。(栗山は)準備が早いんだよ、という話はしましたね」
鳥越コーチはその後、ロッテを経て2025年から西武のコーチに就任。立花コーチも同年に18年ぶりに西武に復帰した。立花コーチは「性格は昔と変わらないけど、風格は増していましたね」と笑った。
初めて栗山と同僚となった鳥越コーチは明かす。「案外よう喋るなと。職人肌かと思ったけど、やっぱり関西人で、よう喋るなって感じですかね。ジョークを言ったり、後輩をイジったりもするので。そういうイメージはあんまりなかったですね。外から見ていたときは」。
2人の熟練コーチが間近で感じたレジェンドの凄みと人柄。栗山巧というプレーヤーは、ファンだけでなく首脳陣も魅了する存在だった。
(湯浅大 / Dai Yuasa)