采配に不満噴出「変な時に代える」 無下に扱われた投手の“矜持”…会話は「一回もない」

元阪急・山沖之彦氏【写真:山口真司】
元阪急・山沖之彦氏【写真:山口真司】

1994年に仰木彬氏が監督就任…山沖之彦氏が困惑した早めの継投策

 元オリックス右腕の山沖之彦氏はプロ13年目の1994年に、オール先発の21登板で7勝4敗、防御率4.25の成績を残した。前年(1993年)の1勝からの復活劇だった。開幕から5連勝を飾るなど再び存在感を示したが、当の本人は今ひとつ納得いかないことがあった。「変なところで代えられたんですよ」。この年からオリックスを指揮した仰木彬監督の早めの継投策などに、どうにも波長が合わなかったという。

 山沖氏はプロ11年目の1992年に8登板で4勝3敗、12年目の1993年では5登板で1勝1敗と出番が激減した。大きな怪我もなく、調子も決して悪くなかっただけに不満いっぱいで球団に「トレードに出してほしい」と直訴する事態にまでなったが、オフにチームは土井正三監督体制から仰木彬監督体制に移行。大先輩である新任の山田久志投手コーチから「もう一回一緒にやろう。俺が出番を作るから」と言われて踏みとどまった。

 迎えた13年目の1994年。山田コーチの言葉通り、山沖氏の登板機会は増えた。4月14日の開幕5戦目(対日本ハム、東京ドーム)の先発からスタート。中6日以上の間隔ながら先発ローテーションの一角を務め、序盤は白星も順調に積み重ねた。6月1日の日本ハム戦(神戸)終了時点では5勝0敗、防御率2.05と数字も残した。もっとも山沖氏は「えっ、そうでした? 知らないなぁ、そんなの。もう全然、もう全部忘れていますわ」と話す。

 それよりも印象深いのは仰木采配という。「変な時に代えるんですよ。で、代えてほしい時は代えないんですよ」。完投するのが当たり前の気持ちで先発を務めてきた山沖氏にとっては、打者との相性などを考えてスパッと代えることが多い仰木監督のやり方には困惑するばかりだった。「マスコミは仰木マジックとか言っていたけど“それちゃうで”って思っていました」。開幕5連勝の時も6回途中での交代が多く、完投はゼロ。何かやり切れないものがあったようだ。

「(交代の)タイミングが悪いのよ、ホント。自分、監督になった仰木さんと一回もしゃべったことがなかったからね。雑談も? ない。顔を見れば、挨拶くらいはしたけど、それだけやったね。(話をするのは)もう全部山田さんやった。山田さんには逆らわなかったからね」。仰木監督の継投策に関しては、山沖氏だけでなく、当時のオリックス先発陣の多くが首を傾げていた。そんな投手たちの気持ちを山田投手コーチは察してくれたという。

 それでも交代の際に山田コーチがマウンドに来た時、嫌がる態度を示したことがあったそうだ。「(二塁手の)福良(淳一)が『山沖さん、来た、来た』っていうから、見たら山田さんが来ているやん。で、ボールをポケットに隠して、ちょっと後ろに下がったりね。“ボールをよこせ”と言われても、グラブには持っていないと言って(笑)。もちろん交代ですよ。交代はわかっているんだけど、ちょっとした抵抗。まぁ、それも山田さんはわかっているからね」。

7勝も届かなかった規定投球回「もっと投げさせやぁ、って思った時が」

 この年の山沖氏の成績は7勝4敗。開幕5連勝を飾ったが、その後は数字を伸ばせなかった。それも早めの継投策で、いつものリズムをもうひとつ、つかめなかったのが影響したのかもしれない。8月23日のロッテ戦(富山)に先発し、6回1/3を3失点でつかんだ7勝目がシーズンラスト勝利。9月24日のダイエー戦(福岡ドーム)で、1回0/3を自責点5で降板したのが、シーズンラスト登板となった。

「(7勝目も最後の登板も)どっちも覚えていないなぁ。自分は香川で投げたのが最後だと思っていた。あの時、暑かったんですよ」。8月9日の日本ハム戦(香川)に先発して1回0/3を3失点で降板し、山沖氏は「自分の中ではあれで終わっていましたわ」と言う。この試合の後にも6試合に先発し、その間に6勝目と7勝目をマークしたが「なぜかはわからないけど全然、覚えていない」と苦笑するばかりだった。ただし、こう付け加えた。

「あの年ね、もうちょっとで規定投球回数だったんですよ(最終的には108回)。で、もっと投げさせやぁ、って思った時がありました。最後はもう、これじゃあ、届きゃへんがなってなりましたけどね。やっぱり規定投球回数を投げるっていうのは1年間の仕事をしたというイメージがあるからね。自分の中で。リリーフでタイトルを取った(1984年に25セーブポイントで最優秀救援投手の)時も、(規定投球回の)130イニングは投げさせてくださいとピッチングコーチに言ったんですよ。(実際に131回2/3を投げた)」。そんな不完全燃焼の思いが“最後の記憶”もかき消したということだろうか。

 1994年はオリックスのイチロー外野手が210安打を放って大ブレークしたシーズン。「自主トレの時、息子を連れて室内練習場に行ったら、自分が練習している間、(イチローが)息子と遊んでくれたこともあった。そんなこともありましたねぇ。けど、彼はホント、よう練習していましたよ」。

 山沖氏の最後の登板となった9月24日のダイエー戦でもイチローは「1番・中堅」でシーズン204本目の安打をマークした。当時は振り子打法。その凄さを年間通じて感じた年でもあった。

 その時の山沖氏は思ってもいなかった。シーズンラストの7勝目が現役ラストの通算112勝目となり、シーズン最後のダイエー戦先発が現役ラスト登板になるなんて……。それは、そのオフにオリックスフロントから、かかってきた一本の電話から始まった。7勝を挙げて復活をアピールしたにもかかわらず、「『ウチは契約しません』と言われたんです」。一気に状況が変化していった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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