元NPB審判員の橋本信治さんは今年3月から西武の球団職員を務める
正確なジャッジで「神の眼」とも称えられた元NPB審判員の橋本信治さんは2021年の引退後、紆余曲折を経て今年、西武の球団職員へと異例の転身を遂げた。人材開発担当兼グラウンドメンテナンス担当として、汗を流している。
チャレンジの人生を送っている。学生時代は大正大の野球部に所属していたが、野球に関わる職業に就こうと、3年で大学を中退し米国の審判学校に通うことを決意。野球部にはコーチという形で1年間所属しながら、渡米への資金作りに奔走した。
当時は審判学校が3つあり、それぞれ合格した40人ずつ計120人が成績順にルーキーリーグから試合を割り当てられていたという。橋本さんは、この試験には合格できなかったが、帰国後に「せっかく勉強したので、知識を活かしたい」と東都大学野球連盟の審判員となった。NPBを目指すも空きがないと採用枠もないため、6年間のアマ球界での活動を経て、パ・リーグの審判部(当時)に所属できたのは30歳になる年だった。
目指していたプロ審判員人生。2010年のオールスターで球審を務め、2018年には記録に残る好ジャッジを披露した。中日(当時)の京田陽太内野手がバントを試みた際に、打球はファウルゾーンに転がったが、足がバッターボックスから出ていたのを見逃さず、アウトを宣告した。
「監督から『ファウルじゃないの?』と言われたのですが、ボールがバットに当たった瞬間にアウトでした。ここ何年かはない反則打球のケースでした」。優れた判定を称える同年の「ファインジャッジ賞」に選ばれた。
2020年には楽天・鈴木大地内野手の本塁突入をめぐり、タイミングは完全にアウトだったが、捕手のタッチをかいくぐって左手でホームベースを触っているのを瞬時で見極めた。「パーソル パ・リーグTV」で動画が拡散されると、鈴木の走塁技術とともに橋本さんのジャッジは「神の眼」と称賛された。
拭えなかったリクエスト制度への“違和感”「目指している審判道ではないよな」
多くの実績を残していたが、2021年シーズン限りで19年間勤めた審判員を引退した。48歳だった。「いろんなタイミングが重なっちゃったんですけど……」。直面したのはNPB審判員の“リアル”だった。
60歳の定年を迎えても「結局NPBには残れない。まれに指導員で残られたりとか、審判部長や規則委員で残る方もいるけど全員じゃない。60歳になって辞められた先輩が何してるかというと、アルバイトをしたりとか……。プロ野球のド真ん中で30年、40年、魂を削って働いてきて、それはちょっと寂しいなというのがあった。なので、体も気持ちも動く50歳ぐらいで辞めて、次の準備をしなきゃいけないんじゃないかなっていうのはありました」。
さらに2018年から正式に導入されたリクエスト制度も審判員の“立場”を変えていた。「(判定は)僕じゃなくてもいいのかな、と。積み上げてきた技術が否定されたとまでは言わないですけど、僕が目指している審判道ではないよな、と。モチベーションが下がったと言えば、まあそういうところもあります。その中で60歳まで続けるのはなかなか難しいと感じてしまいました」
NPBを“卒業後”、宮崎に移住し2022年の1年間は自分の時間をゆっくりと過ごした。2023年からは九州の独立リーグでアドバイザーを3年間担いながら、ソフトバンクが春季キャンプを行うアイビースタジアムのグラウンドキーパーを務めて生計を立てていた。
しかし2つの仕事の日程のやりくりは難しく、2025年に一念発起して「大好きなんです」というサウナ会社の設立を決意。自営にすれば稼働の“融通”は利かせられる。宮崎県内に店舗建設予定地を見つけ、図面も作成し、あとは銀行と融資の話を進めるところまで来た段階で「ぜひお手伝いをしていただけませんか?」。西武から声がかかった。
サウナ店経営を進める段階で西武からオファー「これはなかなかの挑戦」
「サウナを進めようと思ったら、野球界から声をかけてもらった。しかもNPBです。審判員から、球団に入るっていう例が今まで一例しかないそうなんです。これはなかなかの挑戦だし、面白いことだなと」。周囲の理解もあり、サウナ会社経営計画は“一時休止”という形にし、今年の3月に球団職員となった。
「2月までは(春季キャンプで)ホークスの帽子をかぶって仕事していましたけど、3月からライオンズです」
現在はファームを中心にグラウンドキーパーやグラウンドのメンテナンスをこなしつつ、豊富な人生経験を活かして、若手選手とテキストでのやりとりを毎日行っている。月に1度の面談では技術感覚の言語化を促したり、心のケアをしたりと育成をサポートしている。もちろん、審判員の経験もチームに“還元”している。
2軍、3軍の指導者から実際のプレーについての相談を受け「あれは、こういうルールがあるんですよ」「守備妨害だと思うけど、ミスじゃないかな」などと意見を述べる。チーム内で「野球規則クイズ」も実施し、ルールが難解なプレーの動画を共有し、説明を選手らに求めることもある。ブルペンでは“球審”役となり、軌道をみたり、捕手のフレーミングについて「今のはわざとらしいな」などと助言を送ったりしている。
「自分から辞めて、野球界から離れていったんですけど、またNPBに戻ってこられているというのは本当にありがたいです。ここで仕事をできる人というのが圧倒的に少ない世界なので。野球から離れられない人生なんですかね(笑)」
53歳の新たなスタート。また違った形で野球界に貢献している。
(湯浅大 / Dai Yuasa)