「腕がちぎれるくらい全力で」パナソニック野球部が迎える最後の大会 元オリの近藤大亮氏が古巣に送ったエール

オリックスの広報を務める近藤大亮氏【写真提供:(C)PLM】
オリックスの広報を務める近藤大亮氏【写真提供:(C)PLM】

一敗の重みと会社の看板を背負う責任

 パナソニック野球部は、31日に開幕する「第51回 社会人野球日本選手権大会」を最後に、76年の歴史に幕を下ろす。日本選手権大会優勝2回、準優勝2回、都市対抗野球大会準優勝1回と数々の名勝負を生み出し、多くのプロ野球選手を輩出してきた名門。同大会での廃部を発表したセガサミー硬式野球部とともに、相次ぐ名門チームの活動終了は社会人野球界に衝撃を与えた。

 この節目にOBは何を思うのか。かつてパナソニックのエースとして活躍し、現在はオリックスで広報を務める近藤大亮氏に、社会人野球時代の思い出と最後の日本選手権に臨む後輩たちへの思いを聞いた。

 パナソニックの休部について、近藤氏は「寂しいですね」と率直な思いを口にした。在籍期間は2年間だったが、そこでの経験はその後のプロ生活に大きな影響を与えた。

 近藤氏は、大商大学時代に日本選手権大会で同部の試合を観戦していたことや、当時の関係者から「戦力として必要としている」と声をかけられたことがきっかけで入社を決めた。「自分を必要としてくれるチームで野球がしたい」という思いも決断を後押しした。入部後に驚いたのはレベルの高さ。打者のスイングスピードや力強さ、プレーのスピード感など、あらゆる面で学生野球との違いを実感した。

 パナソニックは堅守で失点を防ぐ「守り抜く野球」を伝統としてきた。近藤氏が託された背番号「18」は、後にプロ入りする秋吉亮投手(元ヤクルト、ソフトバンクなど)も背負ってきた番号だ。

「会社の看板を背負って戦う以上、絶対に負けられないという思いがありました。大学時代のリーグ戦とは異なり、都市対抗や日本選手権に出場するための予選は、一つの負けが全国大会への道を閉ざしてしまう一発勝負の世界です。勝ち点制のように『次の試合で取り返す』ことができない厳しさこそが、学生野球との大きな違いだと感じていました」

 そうした環境のなか、近藤氏は持ち味のストレートに磨きをかけるべく、朝から晩までトレーニングに打ち込んだ。ジムにも通い、徹底して体を鍛えた経験は、プロ入り後に自分に合ったトレーニング方法を確立するうえでも役立った。

大阪ガスの補強選手として都市対抗野球に出場した 【写真提供:毎日フォト・サービス】
大阪ガスの補強選手として都市対抗野球に出場した 【写真提供:毎日フォト・サービス】

全国大会初勝利で掴んだ手応え、忘れられない社員の歓喜

 社会人時代で最も印象に残っている試合は、1年目の2014年「第40回 社会人野球日本選手権大会」初戦の東邦ガス戦だ。初めて立つ全国大会のマウンド。相手打線には、社会人野球界のレジェンドとして知られる山本明大内野手がいた。強打者との対戦に怖さもあったというが、捕邪飛に仕留めた。社会人トップクラスの打者を抑えたことは大きな自信となった。

 近藤氏はこの試合で全国大会初勝利をあげた。何よりうれしかったのは、会社の人たちが喜んでくれたことだった。当時の配属先であるインダストリアル営業本部の社員をはじめ、多くの人が球場に駆けつけていた。勝利を収め、スタンドで歓喜する社員たちの姿を目にしたことで、初めて会社の役に立てたという実感が湧いた。

 チームは続くJFE西日本戦にも勝利し、準決勝へ進出。優勝したトヨタ自動車に敗れたものの、先発した近藤氏は6回途中6奪三振3失点と、ルーキーイヤーから確かな存在感を示した。

 翌2015年はさらなる飛躍の年となった。都市対抗野球大会では大阪ガスの補強選手として出場し、現楽天の酒居知史投手らとともに準優勝に貢献。大阪ガスから必要とされたことはもちろん、所属するパナソニックの社員たちが変わらず応援してくれたことも温かい思い出として残っている。

 同年には侍ジャパン入りも経験。そこで後にオリックスでチームメートとなる山岡泰輔投手(当時・東京ガス)、田嶋大樹投手(当時・JR東日本)、西川龍馬外野手(当時・王子)らと出会った。

「山岡、田嶋とはいまだに社会人時代の思い出話をするんですよ」

 プロ入り後も、ロッカールームや食堂で日本選手権の試合を見ながら、社会人出身の選手同士で当時の対戦相手や試合の話に花を咲かせることがあるという。チームが違っていても、同じ時代に社会人野球を戦った者同士のつながりは続いている。

 そして2015年のドラフト会議でオリックスから2位指名を受けた。その直後に臨んだ日本選手権では、前年とは異なる重圧を感じたという。

「1年目は自分の力を愚直に発揮するだけでしたが、2年目は『NPB指名投手』という目で見られる立場になりました。自分を育んでくれたパナソニックにも、評価してくださったオリックスにも恥ずかしい姿は見せられないという、強いプレッシャーを感じながら投げていました」

 初戦のHonda戦に先発した近藤氏は、相手先発の石橋良太投手(元楽天)と緊迫した投手戦を繰り広げるも1-2で敗戦。京セラドームのマウンドの忘れ物を取りにいくかのように、プロ入り後も腕を振るった。

引退後、オリックスで広報業務に携わっている【写真提供:(C)PLM】
引退後、オリックスで広報業務に携わっている【写真提供:(C)PLM】

広報になって気づいた、社会人野球で培われる力

 現役引退後は古巣オリックスで広報業務に携わり、社会人野球での経験がプロでも生きていることを、選手を支える立場から改めて実感している。

 その1つがメディア対応力だ。取材の場で若い選手が受け答えに戸惑うこともあるなか、社会人野球を経験した選手は、自分の考えやプレーの意図を言語化することに慣れていると感じるという。

「東山玲士投手(元ENEOS)の取材に立ち会う機会がありました。現役時期が重なっていなかったため最初は少し心配していたのですが、彼はメディアからの質問に対して見事に自分の考えを言語化し、しっかり答えていました。社会人で揉まれた経験や意識の高さが、プロでのメディア対応や振る舞いにも表れているのだと実感しました」

 会社の看板を背負って試合に臨み、社員やファンの応援に応える。社会人野球で培われるのは技術だけではない。現在は広報として選手と接するからこそ見えてきた一面だ。

最後の舞台へ届けるエール「腕がちぎれるくらいの全集中を」

 パナソニック最後の日本選手権初戦で戦うのは、同じ大阪の強豪・日本生命だ。近藤氏にとっても、社会人時代から「エリート集団」という印象を持つ特別な相手だったという。

 試合会場は京セラドームは、日本選手権だけでなく、プロ入り後もオリックスの本拠地として幾度となく腕を振った馴染み深い球場。マウンドの硬さや高さも合い、思い切って投げ込める場所だったと振り返る。

 現在、パナソニックの指揮を執る井上貴晴監督は近藤氏の1学年上の先輩で、ベテラン左腕の榎本亮投手は1学年下にあたる。かつてのチームメートの多くはそれぞれの道を歩み、知っている現役選手やスタッフは少なくなった。それでも、「貴晴さんが胴上げされている姿を見たいですね」と笑顔を見せる。

 休部決定後、選手やスタッフの約7割は引退して社業に専念し、残る約3割は別のチームなどで現役続行を希望しているという。それぞれが異なる進路を選び、チームとして最後の大会に臨む。近藤氏は「最後は全員が笑顔で終わってほしい」と願う。

 最後にそんな後輩たちへエールを送った。

「トーナメントにおいて重要なのは、とにかく悔いの残らないよう一球一球に気持ちを込め、全力を出し切ることです。先のことは考えず、腕がちぎれるくらい、身体がぶっ壊れるくらいの意気込みで目の前の試合に全集中してほしいですね」

「腕がちぎれるくらい」。思わずその言葉を復唱すると、近藤氏は続けた。

「僕、実際に腕がちぎれて引退しているんで」

 現役時代に右肩腱板断裂を経験し、それでも最後までマウンドで腕を振り、3球三振で現役生活を終えた近藤氏。自らの経験を重ねた渾身のエールだった。

 パナソニック野球部の最後の大会となる日本選手権。初戦の日本生命戦は31日午後6時、京セラドームでプレーボールを迎える。

近藤大亮(こんどう・たいすけ)
浪速高-大商大-パナソニック野球部を経て、2015年のドラフト会議でオリックスから2位指名を受けて入団。回転数の多い力強いストレートを武器に、中継ぎ投手として活躍する。2023年オフに巨人へ移籍。2025年現役を引退し、オリックスで広報に就く。

(「パ・リーグ インサイト」編集部)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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