巨人新助っ人クックの「24」は由緒ある番号 過去には宮田、中畑、高橋前監督ら

選手・監督として98年から18年まで巨人の「24番」を着用した高橋由伸氏【写真:Getty Images】
選手・監督として98年から18年まで巨人の「24番」を着用した高橋由伸氏【写真:Getty Images】

8時半の男、期待のドラ1…過去16選手が背負った背番号24

 巨人が29日、新外国人選手として、マリナーズからFAとなっていたライアン・クック投手の獲得を発表した。背番号は24を予定している。

 ファンの驚きを呼んだのが、新クローザー候補がつける背番号だろう。24番は高橋由伸氏がプロ1年目の1998年から監督だった今季まで計21年間付けてきた。チームでは過去には6選手が背負ってきたが、チームを支えてきた選手が目立つ。ここで16選手の実績を振り返ってみたい。

※()内は背番号24を付けた年。

○田代須恵雄(1937~39年)
 37年秋、38年春秋で3シーズンでプレー。通算19試合出場、打率.250、0本塁打0打点だった。

○泉田喜義(1940~42年)
 1940年に巨人入り。41年に16試合登板し3勝1敗、防御率1.98。通算3年間で23試合登板し4勝2敗、防御率2.71だった。

○長原孝治(1947年)
 1947年に巨人入り。47年はわずか1試合登板、48年は大阪タイガースへ移籍した。通算3試合登板、0勝0敗で防御率9.00。

○関口清治(1948年)
 巨人ではわずか1年だけプレー。48年は11試合出場、15打数無安打に終わり、49年は肩の故障で制限選手となった。社会人・星野組で都市対抗優勝を飾り、50年は西日本、51年から西鉄でプレー。西鉄黄金期の5番打者を務めた。プロ通算15年間で1532試合出場、打率.264、1298安打166本塁打731打点を記録した。

○樋笠一夫(1951~57年)
 1950年に広島でプレーし、51年から巨人へ。代打として存在感を発揮し、56年3月24日の中日戦では杉下茂からプロ野球史上初の代打逆転サヨナラ満塁弾を放った。プロ通算8年間で548試合出場、打率.229、315安打54本塁打194打点。
 
○黒田能弘(1959~61年)
 1959年ドラフト外で巨人入り。1軍では60年に1試合、2イニングを投げたのみだった。62年に近鉄へ移籍して現役引退。引退後はプロゴルファーとなった。

○宮田征典(1962~69年)
 62年にプロ入り。65年には救援としてリーグ最多69試合に登板し、20勝5敗、防御率2.07をマークした。当時はリリーフ投手の草分け的存在。8時半頃に登板することが多かったことから「8時半の男」がニックネームとなった。通算8年間で267試合登板、45勝30敗、防御率2.63。現役引退後は巨人、日本ハム、西武などで投手コーチを歴任した。

○若生忠泰(1970年)
 1955年に西鉄でプロ入りし、先発として活躍。下手投げから変化球を投げる「ロカビリー投法」で一世を風靡した。69年から巨人でプレー。69年は背番号28だったが、70年は24番に変更。70年は2試合登板、0勝0敗だった。同年限りで現役引退。プロ通算16年間で578試合登板、105勝107敗、防御率2.81だった。

○広野功(1971年)
 1965年ドラフト3位で中日入り。68年から西鉄、71年から巨人でプレーした。主にON砲の後を打つ5番として活躍した。プロ通算9年間で689試合出場、打率.239、440安打、78本塁打、264打点。引退後は中日、ロッテ、西武、楽天などでコーチ、フロントを務める。

○小坂敏彦(1972年)
 1969年ドラフト1位で早大から巨人入り。70年1勝、71年2勝、72年4勝と勝ち星を伸ばしたが、73年の春季キャンプ前に高橋善正との交換トレードで日拓へトレード移籍した。プロ通算7年間で105試合登板、9勝8敗2セーブ、防御率4.74。

○玉井信博(1974、75年)
 1973年から巨人でプレー。74年から背番号24に変更し、74年は6勝、75年は3勝を挙げた。75年オフに太平洋に移籍。プロ通算6年間で103試合登板、13勝31敗2セーブ、防御率4.33。

絶好調男に最優秀救援投手も…

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