スタートは名古屋も今年で25年連続で沖縄開催 中日キャンプ地の歴史
全体での春季キャンプは中日球場(現ナゴヤ球場)が初めて
プロ野球初年度である1936年から存続している老舗、中日ドラゴンズは、春季キャンプ地をたびたび変更してきた。戦前、1リーグ時代は本拠地を決めずに戦ってきたドラゴンズ。このころは全体での春季キャンプは行ってこなかったが、1948年末に中日球場(現ナゴヤ球場)がオープン。1950年にこの中日球場で初めて春季キャンプを行った。
しかし、以後、キャンプ地は転々と変わった。1952年に兵庫・神戸銀行グラウンド、1953年は静岡・立大仁高等学校グラウンド、そして1954年からは奈良県営球場。奈良は近畿地方では寒冷な土地柄で、奈良市でも氷点下になることもあった。奈良県営球場は、春日山(若草山)のふもとにあり、練習中に鹿が入ってくるような球場だった。
この年は、雨が多く、エースの杉下茂は「練習が休みになると、旅館で昼間から風呂に入り、それから映画館など奈良市内に遊びに出かける選手が多かったために、風邪が大流行した」と語っている。選手は興福寺の近くにある「大仏旅館」に宿泊したが、当時の小学生の中には、旅館で選手と遊んでもらった思い出を語る人もいる。
さらに鹿児島・湯之元町営球場、和歌山・勝浦、愛媛・松山球場など春季キャンプ地は2~3年おきに変わった。1968年のドラフト1位、星野仙一は浜松市営球場でプロのスタートを切っている。