オリ塚原、3度の手術も復活ならず引退示唆 「もう右肘が戻らない、悔いはない」

オリックスから戦力外通告を受けた塚原頌平【写真:荒川祐史】
オリックスから戦力外通告を受けた塚原頌平【写真:荒川祐史】

3度の右肘手術を経験し育成から復活を目指したが叶わず

 オリックスは2日、塚原頌平投手ら6選手に来季の契約更新を行わない旨を通告した。育成契約から復帰を目指した右腕は「もう右肘が元のように戻らない。悔いはないです」と現役引退を示唆した。

 昨年オフに育成選手契約となり背番号は「125」。大先輩・小松(現2軍投手コーチ)の「28」を取り戻すことはできなかった。

「気持ちも折れかけていた。この2年間、自分でも頑張ったかなと思う。もう右肘が元のように戻らなかった。悔いはないです」

 これまで3度の右肘手術を経験。プロ入り2年目の12年4月24日の楽天戦で1軍デビュー。150キロに迫る直球と落差の大きいフォークを武器に6月14日のDeNA戦で初勝利をマーク。2015年に約3年ぶりに1軍のマウンドに戻ってくると中継ぎとして41試合に登板し0勝4敗、13ホールド、防御率3.30の成績を残し、16年には自己最多の54試合に登板し監督推薦でオールスターにも出場。だが、右肘は限界に達していた。

 育成契約となり復活を目指した1年。状態が回復し140後半の直球を投げることはできたが、1日ブルペンに入ると回復まで1週間近くかかる毎日だった。

 7月18日のソフトバンクとの3軍戦では2年ぶりに実戦登板を果たしたが「この回復力じゃ戦力にならない。痛みも出る中で無理して投げたら状態は戻らないこともあった、もう限界かな」。球団から来季の契約を結ばないことを通告されても「覚悟はしていた」と腹をくくっていた。

 投げる以外でも打撃練習をすればスタンドインを連発する野手顔負けの打撃センスを見せていた。球団関係者からも「チームのエースになれる素材」と期待されるチームNo1のポテンシャルを持っていたがケガに泣かされ続けたプロ野球人生だった。

 今後はトライアウトを受ける予定はなく「一度、地元に戻って色々と考えます。野球に関わることができれば」と第2の人生を模索していく。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY