「自分でぶち壊した試合が思い出」通算167S・武田久から続く日ハム中継ぎ陣の系譜

2017年まで日本ハムに在籍していた武田久氏【写真:石川加奈子】
2017年まで日本ハムに在籍していた武田久氏【写真:石川加奈子】

球団歴代最多の167セーブを挙げた武田久の思いは後輩に受け継がれる

 プロ野球開幕を心待ちにしながら日本ハムの取材ノートを整理していたら、思い出深い言葉を再発見した。「F取材ノート~心に残ったあの言葉」として改めて紹介したい。今回は、球団歴代最多の167セーブを挙げた武田久投手。

「自分でぶち壊した試合が思い出」

 2017年限りで日本ハムを退団した時の会見で発した言葉だ。思い出の試合を問われた時に苦笑しながら答える姿に、見ているこちらがグッと来た。

 2006年に最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得して北海道移転後初めての優勝に貢献、2009、11、12年と3度最多セーブを獲得。13年には150セーブと500試合登板も達成している。これだけの実績があれば、華々しい場面が思い出に残っていてもおかしくない。

 だが、武田は言った。「ポジション的に、いい思い出はあまり残らない。打たれた試合を糧に頑張ってきた」。ぶち壊した試合にこそ、小さな鉄腕が必死に15年間腕を振り続けた原動力があった。

 膝の故障と戦いながら這い上がった。「僕くらいの能力で9回(クローザー)をできたのは奇跡に近いと思う。1年1年必死にやってきた積み重ね。ポジションをとったら、奪われたくないというその気持ちだけだった」。ノートに並ぶ文字を追うと、どれだけのものを背負って534試合マウンドに上がったのだろうと頭が下がる思いがした。

 よく口にしていた美学は「僕らが目立っているようじゃダメ。無難に終わらせるのが仕事」。試合の流れに波風を立てず、サッと仕事をしてサッと帰ってくる。絶体絶命のピンチを切り抜けても試合後はいつも変わらぬクールな姿が頼もしかった。

 そんな武田のスタイルは、後輩に受け継がれている。武田を抜いて球団歴代トップ684試合に登板している宮西尚生投手。300ホールドポイント達成を目前にした18年6月の取材ノートには「一番すごいのは目立たないリリーフ」の文字があった。

リリーフ一筋の宮西「見てくれる人が見てくれればいい」

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