大ケガ、移籍、巨人での2年…青木高広、引退を決めた瞬間の思い
一時は引退もよぎる大ケガから復活、第2の人生では選手育成へ
広島から移籍し、在籍期間は約2年半。9年間のプロ人生の中で巨人のユニホームを着た期間は短かった。それでも、青木高広投手は戦力外になっても、第2の人生をジャイアンツで始めることになった。「プロで培ったことを次の仕事に生かしていきたいと思っています」と球団が力をいれる少年野球育成のアカデミーのコーチとして、未来の野球選手を育てていく。
2006年大学・社会陣ドラフトで4位指名を受け、広島に入団。杉内俊哉に憧れた左腕は背番号47をつけて、プロの道を歩み始めた。一時は黒田博樹らを擁するローテーションに入る勢いを見せたが、なかなか結果が出ずに中継ぎに転向。2年、3年経っても思ったような成績は残せなかった。
転機は2010年。当時の大野豊投手コーチの助言だった。このままなら同じ左投手の中に埋もれていってしまう――。そのような言葉をかけられ、勝負に出た。スリークォーターからサイドスローに投球フォームを変更した。
すると2011年。76試合に登板、20ホールドを挙げるなど、セットアッパーとして活躍。ついに力を発揮。登板数はチーム最多。体に巻き付くように腕が出てくるため、打者はタイミングが取りづらく、思ったよりもスピードが速く感じたという。青木は自身の持ち味を発揮し始めた。
しかし、長くは続かなかった。翌年のキャンプで左膝の前十字靱帯、半月板を痛め、手術。シーズンを棒に振った。野球が再びできる保証はなく、青木は現役引退まで考えた。この頃、「野球ができるだけで幸せなんだと思いました。家族の支えがなければ野球もできないんだと実感しました」。大好きな野球と家族のために、再びマウンドに上がる日を信じて、リハビリを続けた。