158キロドラ1右腕を襲った突然の悪夢 2度の戦力外も野球続ける理由とは
NPB球団で2度の戦力外も投げ続ける北方悠誠、愛媛で語った“今”とは
例えば、歌が上手かったはずなのに突然音痴になったり、達筆だったはずの字が読解不能な文字になってしまったり。今まで普通に、他人よりも上手にできていたことが、ある日突然全くできなくなってしまったら――。
現在、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに所属する右腕・北方悠誠は、2年前のある日、突然ボールが制球できなくなった。いわゆる「イップス」だ。
キャッチャーを目掛けて投げたはずのボールが、明後日の方向に向かって飛んでいく。「まさか僕がって。自分がなるとは思っていなかったし、投げられなくなるとは思ってなかった。元々コントロールはよかったから、結構ショックは大きかったです」。当時の衝撃がよみがえったような複雑な表情で、そう振り返った。
将来を嘱望されながら順風満帆な道を歩むはずだった。佐賀・唐津商の3年時に、県大会を1人で投げ抜いて夏の甲子園出場の切符を獲得。憧れの甲子園では、2回戦・作新学院戦で最速153キロの速球で10奪三振を記録するなど、パワフルな投球がスカウトの目に留まった。2011年ドラフトで横浜(現DeNA)に1位指名され、大型高卒ルーキーとして初年度デビューが期待されたが、2軍で思うような結果が残せず。1軍昇格の声は掛からなかった。2013年オフに参加した台湾でのウィンターリーグでは、自己最速158キロを計測。翌春は1軍キャンプに参加できたが、2軍で開幕。なんとか1軍に昇格したい。試行錯誤を繰り返す真っ只中で、イップスはやってきた。
イップスという厳しい現実に向き合う中、2014年オフにはDeNAを戦力外となり、12球団合同トライアウトの末、翌年育成選手として所属したソフトバンクも1年で“クビ”になった。さすがに「もう辞めようかな」と思ったという。それを翻意させたのは、周りで応援し続けてくれた人たちの存在だった。
「イップスになった後、無理矢理明るく振る舞うとか、実際結構キツかった。でも、自分のことじゃなくて、応援してくれている家族のこと、ジイちゃんやバアちゃんのことを考えたら、今年でまだ23歳だし、もっとできるなって」