誇り高き背番号『42』の真実とは

有色人種の門戸を開放した一人の黒人選手

 1920年のこと、カンザスシティーでは、白人社会から追われた黒人たちだけの野球リーグが発足した。そのリーグで内野手として高打率を残していたジャッキー・ロビンソン氏が、1945年にブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)の会長の目に留まり、2年後の1947年4月15日に人種差別の壁を破ってメジャー・リーグデビュー。黒人選手として20世紀初のメジャー・リーガーとなった。

 彼は新人王を獲得した他、2年後には首位打者と盗塁王も獲得。批判にも屈せずに、有色人種の門戸を解放した。現在、プエルトリコやドミニカ共和国などたくさんの有色人種、多国籍な選手がメジャー・リーグでプレーできているのは、ロビンソンのおかげなのである。

 そのロビンソンがつけていた背番号が「42」だった。そのデビュー50周年となった1997年、MLBのセリグ・コミッショナーは30球団で永久欠番にすることを決めた。また、4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定。2009年以降はその記念日に監督、コーチ、選手だけでなく審判も背番号42をつけて、ロビンソンを称えることになった。つまり、この日だけは永久欠番をつけてプレーすることが許されるのだ。ヤンキースなどでプレーした松井秀喜も、42番をつけて本塁打を放ったことがある。有色人種にとってみれば、偉大で栄光のある数字なのである。

 そのため、外国人選手、特に有色人種の助っ人は、日本で42番が空き番号ならば、すぐにその数字を選ぶ。今年は横浜DeNAのブランコ、日本ハムのアブレイユら12球団中、8球団で外国人選手がつけている。そして8年前のクルーンもその一人だった。

 困難の克服を象徴する背番号「42」。ロビンソンが逆境に果敢に立ち向かったように、日本で活躍を期する外国人選手は背中の数字を支えにして異国の地で戦っているのである。

【了】

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