巨人連覇の鍵を握った男 村田修一を復活に導いた無言のゲキとは
周囲の支えを受け、村田は進化を遂げた
打撃の調子は下降線をたどる一方。6月12日の敵地でのオリックス戦ではついに打順が9番まで下がった。かつて本塁打王と呼ばれた男にとっては屈辱でしかない。落ちるところまで落ちた。その采配は最後通告とも取れるが、原監督からすれば、無言のゲキでもあった。
いつしか下位打線が村田の居場所になっていた。「クリーンアップに戻りたい」と周囲に漏らし、村田はシーズン中ながら打撃フォームを大幅に変え始めた。体を前傾にし、グリップを下げ、確実性を追い求めた。長打はいらない。自分が生き残るためには、打率を残すしかないと考えた。
どん底の時期に原監督からも打撃ゲージの裏で重心移動などを直接指導された。阿部らチームメートからもアドバイスをもらった。周囲の支えを受け、村田は変わっていった。
そして男は復活どころか、進化を遂げた。
月間打率が2割4分7厘だった6月から、7月はなんと4割6厘と大爆発。月間MVPを獲得した。「調子がこんなに長く続くと怖いです」と自身も驚く結果だった。8月も止まらなかった。さらに上をいく4割2分2厘を記録し、2か月連続で月間MVPに輝いた。
そして、ついに時がきた。8月24日の横浜DeNAベイスターズ戦から、村田は4番の椅子に座ったのである。原監督がずっと理想としていた阿部以外の4番打者を据えたオーダーだった。同時期、チームは夏場の疲れを抱え、負けがこんでいた。その窮地に「4番村田」が勢いを与えて、巨人は一気にラストスパート。実りの秋を迎えたのだった。
村田の活躍なしにはリーグ連覇はあり得なかった。復活のきっかけとなった懲罰交代や9番降格等の無言のゲキ。村田にはそれを乗り越えるだけの力があると原監督も見込んでいた。今では、指揮官に「村田の存在は大きい」と言わしめるほど、2人の絆は強固なものとなった。本来の力を引き出した原監督。それに応えた村田。2人にとって、苦難の末の連覇は得難い価値があるに違いない。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count