宮本慎也の後継者となれるか ヤクルト岩村明憲にかかる来季への期待
タンパベイ・レイズでの躍進
2007年、岩村はヤクルトから、ア・リーグ東地区で万年最下位のお荷物球団、タンパベイ・デビルレイズに移籍した。初年度は1番打者として活躍したが、結果は最下位。直後、チームは名称を変更し、デビル(悪魔)を取って「レイズ」とすると、2008年に躍進した。
二塁手の岩村はリードオフマンとしてシーズンを通して活躍。勝つことに慣れていない若手らを鼓舞し続けた。通訳なしで積極的にコミュニケーションを図り、髪型をモヒカンヘアにするなど周囲の視線を集めようと試みた。時には趣味のゴルフにもチームメートと出掛けた。仲間との交流を深め、お互いを知り、言いたいことを言い合うためだった。
2008年シーズンは開幕から好調だった。今では不動の4番となっているエバン・ロンゴリア内野手がブレイク。強力打線に、投手陣も安定感があり、ヤンキースやレッドソックスといった強豪チームと互角に渡り合った。だが、リーグトップにいることに慣れないチームは終盤に失速。首位の座が危ぶまれ、チーム内にはどんよりとした空気が漂った。その際、岩村は自ら行動し、ジョー・マドン監督やベテランのフロイド外野手らにミーティングをしてほしいと頼み込んだ。自分達は強いんだというマインドを植え付けるためだった。それが、チームに熱を吹き込んだ。
気がつくと、チーム内に次々とモヒカン頭が増えていった。B・Jアプトン外野手らが岩村を真似し始め、若いチームに活気が戻った。すると成績は再び上昇。結果、球団創設以来、初となるリーグ優勝を引き寄せることができた。さらに地区シリーズ、リーグ決定シリーズと突破。最後はワールドシリーズでフィリーズに敗れたものの、大健闘のシーズン。当時、名将マドン監督は「アキがチームを変えてくれた」と一人の日本人に敬意を払っている。