日本シリーズを戦った選手たちの東北復興への思い

東北への支援を続けてきた巨人の選手たち

 杜の都は歓喜に包まれた。楽天が日本一に輝いた直後、星野仙一監督は勝利監督インタビューで「東北の子供たち、全国の子供たち、被災者のみなさんに勇気を与えてくれた選手たちをほめてやってください」と叫んだ。2011年3月11日の東日本大震災以降、楽天は「がんばろう 東北」をスローガンに掲げて戦ってきた。そして球団創設9年目にして、その思いが結実し、悲願の日本一を引き寄せた。

 楽天の優勝により、地元は大いに活気づいた。さらに言えば、日本シリーズの前から、世論も初の日本一がかかる楽天を後押しするムードがあった。被災地の東北に本拠地を置くチームが優勝に突き進む中で、ネット上には「復興が加速する」という趣旨の書き込みも目立った。その大義名分の前には、巨人のV9時代以来、40年ぶりとなる日本一連覇がかすんでしまったのも無理はない。

 だが、ここで疑問も残る。もし巨人が日本一になっていたら、どうなっていただろうか。果たして復興を願う人たちは、楽天以外の優勝を認めなかっただろうか。地元球団を応援していたファンは落胆したかもしれない。ただ、一つだけ確かなことは、巨人の選手たちも、東北の復興に思いをはせ、自分たちなりに支援を続けてきたということだ。

 たとえば、「子供たちに元気を与えたい」と願った巨人の内海哲也投手は昨年、他の投手たちとともに福島を2度訪れ、レクリエーションやクリスマスイベントなどを行っている。岩手の陸前高田市にも足を運び、小学校を訪問。未来ある少年少女のことを考え、オフの少ない時間を使って、被災地の子供たちの希望の光となった。と同時に、震災の爪跡が残る被災地を目の当たりにし、自分のプレーで元気づけることを心に誓っている。

 杉内俊哉投手も福島県内の病院を慰問し、子供たちにプレゼントを贈った。福島県相馬市出身の鈴木尚広外野手は近所が被災したこともあり、地元のイベントに積極的に参加。日本シリーズで最後の打者になってしまった矢野謙次外野手も、宮城県内の小学生らを東京ドームの試合に招待している。このことからも分かるように、巨人ナインも、東北の人々や子供たちのことを考えて、戦ってきたのだ。だからこそ、彼らも勝ちたかったはずだ。

 親族や地元が被災した東北出身のある選手は「復興、復興といっているけれど、何をもって復興といえるのでしょうか。実際に以前と変わってしまった景色を見たら、簡単にそのような言葉は出なくなる」と絶望感に苛まれながらも、来るべき未来への思いをこう表現した。

「荒れ果てた場所を見て、元に戻るのは20年、30年もかかるなと思った。だから、今、僕らが元気を与えなくてはいけないのが、その時、復興の中心になる子供たち。彼らが明るい未来を見られるようにすることしかできない。子供たちに楽しんでもらえるように、全力でプレーしないといけないと思うんです。子供が楽しめば親も元気になる。地域も活性化する。大事なのは子供たちの笑顔です」

 確かに、東北の象徴である楽天イーグルスの日本一は、被災地にとって大きな出来事だったに違いない。楽天の選手たちは練習の時間を割き、瓦礫の撤去や避難所への訪問などの支援も続けてきた。一方、巨人を応援する東北の子供たちも多くいた。巨人の選手たちにパワーをもらった人々もいるだろう。少なくとも、復興を願う両軍の選手たちの気持ちに貴賤はない。そして勝ち負け以上に、両チームの力が均衡した戦いは、多くの子供たちの心に感動を与え、勇気を植え付けたはずだ。「3・11」からまだ2年半。復興への道程は長い。選手たちは東北の明るい未来を信じ、これからも自分たちができる形で精いっぱいの支援を続けていくことだろう。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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