台湾で新記録を打ち立てた右腕が日本球界に復帰 真田裕貴はなぜ異国の地で投げ続けたのか
「ハートは誰にも負けないと思っている」
理想は昨オフに日本の球団と契約することだった。日本と台湾の野球のレベルは違うが、70試合近く投げられると分かっていれば、獲得する球団はあったかもしれない。だが当時、他球団は重い腰を上げようとはしなかった。手術したばかりの選手を受け入れるほど、余裕のある球団はない。獲得して復帰するかも未知数だった。2012年の登板は1試合。それもワンアウトも取れず、4本連続でヒットを打たれて、降板していたのだ。
だが本人には、しっかりと準備さえすれば、結果を出せる自信があった。巨人への入団が決まったのは12年シーズン開幕前の3月下旬。横浜DeNAを自由契約となった真田はその直前まで、アメリカでのプレーを目指してトライアウトを受けていたため、日本のプロ野球の春季キャンプに参加していなかった。そのため、土壇場で巨人に復帰した12年シーズンの結果は、準備不足も少なからず影響していた。
投手の基本は下半身。そこの安定がなければ、いいストレートは投げられない。09年に横浜DeNAで68試合に登板した経験から「キャンプ、走り込みさえやれば、投げられる」という思いがあった。だから、手術を受けて、翌年のキャンプに備えよう――。しかし、最後の望みにかけていた真田に待っていたのが、まさかの戦力外通告。社会の冷たい風にさらされ、自分の甘さを思い知った。
だが、先日の入団会見で本人が話したように「ハートは誰にも負けないと思っている」という根性が、真田にはあった。シーズンを通して投げられることを証明するために、台湾へと移籍し、結果を残し続けた。1年という期間は決して短くはないが、日本プロ野球に復帰するために、異国の地で戦い続けた。
真田の判断は、間違っていなかった。遠回りだったかもしれないが、1年後、野球の神様はほほえんでくれた。来年2月で30歳と、年齢的にもまだまだ活躍が期待できる。台湾での苦労を乗り越えた右腕が、その強い精神力とシュートボールを武器に、来年、神宮球場のマウンドに立つ。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count