仁志監督、小宮山監督の実現なるか 進むプロ・アマ雪解けへの大きな一歩
「柳川事件」から50年、プロとアマの歩み寄り
当時、プロと社会人野球連盟(当時)は毎年、両者の間で協約を締結し、秋の産業対抗大会(現・社会人日本選手権)が終了するまでプロ側は入団交渉などの接触を行わないことや、社会人チームのプロ退団者の受け入れ人数を制限するなどの規定を定めていた。
そして1961年、退団選手のセカンドキャリアを考慮したプロ側は、プロ退団者の試合出場を産業対抗大会終了後から夏の都市対抗野球終了後に繰り上げることや、社会人チームのプロ退団選手の受け入れ人数を年間1チームにつき3名から増加することを要望。だが、アマ側はこれを拒否し、話し合いがまとまらないまま、無協定状態となった。そんな中、同年のシーズン中の4月に中日が日本生命の柳川福三内野手と契約。その強引な動きに、アマ側は高校、大学も含めて、プロ側との交流を断絶することを決め、社会人チームの元プロの入団や、プロ経験者、関係者の学生への指導を禁じたのだった。
ただ、1990年代頃から少しずつ態度は軟化し始め、元プロの社会人への受け入れや、「夢の向こうに」というシンポジウムにおいて選手たちの学生への指導も実現している。それらは全国各所で行われ、高校球児たちは目を輝かせながら、選手の話に耳を傾けた。質問コーナーでもプロへの質問は絶えなかった。いくつも問題を抱えているものの、それらは素晴らしい試みで、参加者の誰もが常に実施できる日が来ることを願ったものだ。
そして今回の規定改正で開催が決まったのが、指導者資格回復講習だった。アマチュア野球界の首脳陣は、日本の野球界にとって英断を下したと言える。学生たちの夢が広がるだけではない。プロ野球界を見てきた者たちが、一番、プロへの近道を知っている。選手経験者のみならず、トレーナーやトレーニングコーチも同じだ。プロの経験と視点で若い選手たちを教えたいという人たちも多い。本気でプロになりたいと思う生徒が、彼らの指導を受け、15歳以降のトレーニングや食生活を変えることで、その成長の曲線も違ってくるはずだ。
プロとアマの講習を受講した場合、早ければ来年1月にも資格復帰し、来春にも高校野球の監督などになれる可能性が出てくるという。この新制度から、新たな野球の楽しみが増えることや、プロ・アマ界が手を取り合い、日本の野球の強化につながることが期待されている。こうしてプロとアマが歩み寄っているという現実が、野球ファンの間に広く伝わっていけば、また新しい歴史が生まれていくに違いない。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count