野球殿堂の候補者入りの新候補者 鈴木尚典を成功に導いた秘話

コーチとして一番思い出に残っている選手

 キャンプでも、いいイメージを忘れさせないように、自室に呼んで素振りをさせた。その地道な努力が実り、打率も徐々に上がっていった。

 そして初の3割が見え始めた96年のこと。シーズンも終わろうという時に、髙木氏は当時、チームを率いていた大矢明彦監督から相談を持ち掛けられた。

「スーさんはここでやめたら3割打てるけど、どうする?」

「いや、監督、出しましょう。こんなところで引っ込めて3割打てたからって駄目です。出させてください」

 髙木氏の助言通り、打席に立ち続けた鈴木は結果的に、2割9分9厘でシーズンを終えることになった。だが、その高い志は翌年につながることになる。97年に3割3分5厘、98年には3割3分7厘を打って2年連続首位打者に輝き、チームも98年に日本一を達成。マシンガン打線と恐れられた攻撃陣の中で、その存在は一際、輝きを放つことになった。

 26年間の指導者人生で数々の名打者を手掛けてきた髙木氏の中にも、鈴木氏とともに汗を流した喜怒哀楽の日々は特別な記憶として脳裏に刻まれている。

「今、一番思い出に残っているのは鈴木ですよね。あの鈴木が2年連続首位打者を取れた、二人三脚であそこまでいけたというのは、僕がコーチをした中でも最も印象深いというか、うまくいった例だと思います」

 いかに力のある選手といえども、一人では決して成功を手にすることはできない。ともに悩み、時に励まし、未来へと導いてくれる指導者との出会いも、重要な要素である。鈴木氏と髙木氏。強い絆でつながれた師弟関係があったからこそ、鈴木尚典という名バッターが生まれたに違いない。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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