悲運のエース 斉藤和巳が残したもの
尾花コーチからの言葉で目が覚めた
誰もが望んだ「その時」は訪れなかった。3軍リハビリ担当コーチをしながら、故障した右肩痛からの復帰を目指していたソフトバンク・斉藤和巳投手(36)が昨年限りで引退を表明。会見では目に涙を浮かべ、家族や周囲の支えに感謝した。現在は野球評論家として第2の人生を歩み出している。
2003年に20勝3敗で最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、沢村賞を獲得し、06年にも18勝。エースとしてプレーオフに進出した。最多勝と2度目の沢村賞を獲得。投げれば勝つ。味方が1点でも取れば、相手を0点に抑える雰囲気があった。絶対的エースという言葉がピッタリとはまる。本格派右腕なら誰もが憧れる存在だった。松坂大輔投手も、ダルビッシュ有投手も、斉藤との投げ合いが楽しみだった。
ヤンキースに移籍した田中将大投手の昨年の開幕24連勝の記録は05年、斉藤氏がマークした15連勝を上回った。「俺の記録が世に出るようになって感謝しているよ」とマー君にそう伝えた。それによって、自分自身に対しても「次へ、進もう」と踏ん切りをつけることができたという。
斉藤は03年に20勝したが、翌年04年は10勝に終わっている。20勝を成し遂げてしまい、目標を見失ってしまっていた。しかし、当時の尾花投手コーチの言葉で目が覚めた。
「なぜ10勝しかできなかったのか。20勝したならば、その上をなぜ目指さないのか。1年間で27試合に登板するなら、27勝を目指してみろ」
現実離れした数字だった。しかし、その言葉で斉藤は新たな目標を手にし、05年シーズンに臨んだ。27連勝まではいかなかったが、連勝をするという高い意識の中、15連勝を記録。翌年も18勝。目標をきちんと示すことで、自分の力を存分に発揮できた。尾花コーチはこれを伝えたかったのだ、と斉藤は理解した。