首位打者8度の名打者の素顔は「真の野球マニア」 54歳の若さで死去したグウィン氏が野球界に残したもの
マダックス「彼こそ、真の野球マニアだった」
ビデオ映像を利用した打撃フォームや投球フォームの確認、そして、対戦相手の分析は、今ではおなじみの「予習・復習」ツールだ。グウィン氏がビデオを使い始めたのは1983年。遠征中にスランプにはまった同氏は、自宅にいる妻に頼んで、遠征中の全試合映像をビデオ録画してもらったという。遠征から戻った後、全打席の映像を見返しながら、「自分の感覚」と「外から見た体の動き」が、どこが一致し、どこがズレているのかを細かく確認し、スランプから抜け出したそうだ。
以来、ビデオ映像を使った打撃フォームのチェックは欠かせないものとなった。遠征先にも持ち運び可能なビデオデッキを持参。当初はフォームの修正点を探し出すことが目的だったが、映像コレクションが増えるとともに、対戦投手の予習にも役立てるようになった。効果はてきめんに表れた。ビデオ分析を取り入れた1983年から引退する2001年までの19シーズン、毎年打率は3割を超えた。
1989年に撮影された映像の中で、グウィン氏はこんな話をしている。
「ビデオを使う前から、自分の打席はすべて記憶に残っているが、ビデオで何度も見直すようになってからは、1球1球より鮮明に思い出せるようになったし、対戦投手の傾向も頭の中にストックされるようになった。試合に向けての準備を重ねれば重ねただけ、確実に結果となって表れてくる」
この当時、すでに3度ナ・リーグ首位打者に輝いているが、それでも決して手を抜くことはない。自分を打ち取ろうと対策を立ててくるであろう投手に一歩先んじるための努力を怠ることはなかった。
1991年から2シーズンをチームメイトとして過ごしたレンジャーズのマダックス投手コーチは、こう言って故人を偲んだ。
「最高のチームメイトだった。彼からピッチングについて多くのことを学んだよ。苦手打者の攻略に苦戦していると、その打者のスイングを細かく解説して、どう攻めればいいか教えてくれるんだ。今まで一緒にプレーした中でも、最も豊富な野球の知識とデータを持った人物だった。彼こそ真の野球マニアだったよ」
【了】
佐藤直子●文 text by Naoko Sato
群馬県出身。横浜国立大学教育学部卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーとなり渡米。以来、メジャーリーグを中心に取材活動を続ける。2006年から日刊スポーツ通信員。その他、趣味がこうじてプロレス関連の翻訳にも携わる。翻訳書に「リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン」、「ストーンコールド・トゥルース」(ともにエンターブレイン)などがある。