アレックス・ラミレスが引退を発表 日本での14年間で残した偉大な足跡

「野球選手としての生活に幕を引くことを決断しました」

 プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスは14日、「ラミちゃん」の愛称で人気を博した外国人選手アレックス・ラミレス外野手の今季限りでの現役引退を発表した。ラミレスはホームページ上でファンへのメッセージを発表。「アメリカ10年、日本で14年、合計24年続いた野球選手としての生活に幕を引くことを決断しました」と報告した。現在、本人はアメリカに帰省しており、日本に戻り次第、会見を行う見通しとなった。

 ラミレスは2001年にヤクルトに入団。以降、巨人、横浜DeNAと渡り歩いた。今年は独立リーグ・群馬でプレーし、NPB復帰を目指していたが、ついに戻ることはできなかった。ホームランを放てば、志村けんの「アイーン」にはじまり、ダンディ坂野のギャグ「ゲッツ」や藤崎マーケットの「ラララライ体操」とポーズを決めて、お茶の間に笑顔を届けてきた。何より、誰よりもテレビの向こう側にいるファン、球場のファンを大事にする助っ人選手だった。

 MVPは2回。首位打者は1回。本塁打王2回、打点王4回……。外国人選手として史上初となる2000安打も達成。巨人時代は松井秀喜よりも長く、4番に座り続け、低迷していたジャイアンツを救い、現在の常勝軍団の礎を築くことに貢献した。

 加入してくる新外国人選手にもアドバイスを送り、日本での生活を助けた。日本語も積極的に勉強し、選手とのコミュニケーショを密に取って、チームの士気も高めた。現役の晩年は下半身を痛め、本来の打撃はできなくなった。レフトの守備でもミスが続き、出場機会を失ってチームを去ったが、ラミレスが残した功績は消えることはない。偉大な外国人選手だった。

 バットで残した数字もそうだが、ラミレスが最も称えられる点は日本人以上に日本の心を持っていたことだった。ヤクルトに加入した時は想像以上に投手の配球が緻密で、追い込まれてからの落ちるボールの対応に苦労。「日本の野球がここまで細かいとは思わなかった」と悩んだ時期もあった。当初は長く日本でプレーするつもりはなかったが、一から日本野球を勉強することを決断し、元メジャーリーガーのプライドを捨てた。分からないことには頭を下げて教えを乞い、積極的に質問して学んだ。それにより、誰よりも日本野球を熟知する選手になり、若手の日本人選手から配球やデータなどについてアドバイスを求められるまでになった。

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