今季限りで引退の稲葉篤紀 日本ハムを支えたその特異な成績推移
当時強力打線で売っていた日本ハムでの稲葉の立場
稲葉がファイターズへの加入が決まったのはフリーエージェント(FA)の選手としては少し遅い2月。ご存知の通り、ファイターズはFA宣言した選手を獲らない球団であり、稲葉の獲得がこれまでで唯一の例である。
稲葉が加入する前年、ファイターズは打率2位の小笠原道大や、本塁打王を松中信彦(ダイエー)と分け合ったフェルナンド・セギノールらの活躍があり、攻撃力を武器にプレーオフに進出した。三冠王の松中らを擁したホークスの739得点に次ぐ731得点を記録しており、ファイターズ史上でもかなりの強力打線だったと言える。
ただし、当時のファイターズ打線にはリーグを代表する打者だった小笠原がいたものの、そのほかは毎年の活躍を計算できる選手は少なかった。移転後最初のチームの顔を務めた新庄剛志や、セギノールは年ごとの当たりはずれが見られた。高橋信二や木元邦之といった期待を集める選手もいたが、活躍の確度は見込めなかった。確かに強力打線ではあるが、何年も続けて得点で他チームに対しマージンをつくっていけるかという視点だと、ホークスとの差は小さくなかった。
そんなチーム状況を考慮しても、当時1ファンとして稲葉獲得の一報を耳にしたときは、「中心打者」というよりは野手陣の不調者が多い時にベテランとして攻撃力を安定供給し、チームが壊滅的な事態に陥ることを避けるための獲得に見えたものである。加入したシーズンで33歳を迎えており、OPSでは弱い低落傾向が続いていた。ここからブレイクの予兆を感じ取ることはなかった。