世代のトップが日本球界復帰 再び松坂世代の躍動なるか

9年ぶりに日本球界復帰し、活躍に自信を見せた松坂大輔

 ソフトバンクと3年12億円(推定)の契約を結び、9年ぶりに日本球界復帰を果たした松坂大輔投手(34)。「自分のピッチングを見ることができてよかったと思ってもらえるものは出せると思います」とファンへ力強く約束した。近年の成績から不安視する声があるのも理解している。それでもやれる自信はある。右腕はまだ一線級で投げ続ける力があることを、これからピッチングで証明していく。

 松坂世代――。1980年4月2日から81年4月1日の間に生まれた世代を指す言葉。高校3年生(1998年)の時、松坂擁する横浜高校は春夏の甲子園を優勝。夏の決勝戦は京都成章高校に対し、ノーヒットノーランを達成して勝利するという強烈な印象を残した。松坂だけでなく、この年には、たくさんのプロ野球選手が生まれた。高校時だけでなく、大学、社会人になっても続々とドラフトで指名されていった。

 そのうちの1人が当時、松坂と同じくらい注目を集めていた沖縄水産高・新垣渚だった。高校2年時から150キロ近い速球を投げ、3年時に春夏連続で甲子園に出場。甲子園では151キロをマークした。松坂以上の評価をする球団もあり、ドラフトではオリックスと当時のダイエー(現ソフトバンク)が1位指名をした。競合でオリックスが交渉権を獲得したが、ダイエー以外なら進学と決めていた新垣は、指名を拒否し、九州共立大学に進学。4年後、ホークスの自由獲得枠で松坂に遅れること4年、プロの門をたたいた。背番号は18となった。

 松坂にとって新垣の存在は高校時代から大きいものだった。

 プロ入り後、「渚がいたから、自分も頑張れたこともありました」と遠い沖縄の剛腕をライバル視していたと話したことがある。松坂も「平成の怪物」と呼ばれたが、新垣の存在には一目置いていた。同い年にはとんでもないやつがいる。選抜大会で優勝しても、また全国の舞台で勝てるとは限らない。そう思うようになっていた。新垣も大学4年間、プロで一線級の輝きを放つ松坂に刺激を受けながら、日々、汗を流していた。

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