語り継がれる松井秀喜の記憶 ヤンキース史上4番目に価値あるFA契約に
「ヒデキ・マツイを嫌いなヤンキースファンに会うことは不可能」
「ヒデキ・マツイを嫌いなヤンキースファンに会うことは不可能だろうし、もしそんな人がいても、会いたいとは思わない」
記事ではそう評し、「“ゴジラ”と呼ばれた男はあくまで応戦的だった。日本のヨミウリ・ジャイアンツでは並外れた本塁打数によって名声を上げたにもかかわらず、松井は能力に長けたオールラウンドな打者であることを証明した」と称賛している。
日本で圧倒的な実績を誇るスーパースターだった松井氏が自分を犠牲にしても勝利を最優先に考え、チーム打撃をできる選手であることは、初年度からチーム内外で絶賛された。当時の指揮官だった名将のジョー・トーリ氏は、今年の自身の野球殿堂入りのスピーチで、松井氏にヒットエンドランを出していいか聞いたときに快諾されたというエピソードを披露している。
松井氏は現在もニューヨークで絶大な人気を誇る。デビューから3年連続で100打点をマークするなど絶大な勝負強さを誇ったが、特にプレーオフでの数々の活躍が、松井氏のイメージとして定着。ポストシーズンは通算56試合で打率3割1分2厘、10本塁打、39打点と、ハイレベルな数字を残っている。
2009年のフィリーズとのワールドシリーズでは13打数8安打の打率6割1分5厘、3本塁打、8打点と圧倒的な数字をマーク。世界一を決めた本拠地での第6戦では相手エースのペドロ・マルティネスから先制の2点本塁打を放つなど6打点を挙げ、打席に立った際に「MVPコール」を受けた。
松井氏よりも上位には、メジャー史に名を刻む選手の名前が並ぶ。
3位はデーブ・ウィンフィールド。学生時代には野球とバスケットボールで才能を見せ、プロ入りの時はこの2つの競技に加え、アメリカンフットボールのプロチームからも指名を受けて話題となった。1981年にパドレスからヤンキースに10年契約で移籍し、個性の強さも光った。