【小島啓民の目】高校時代に始まっていた落合氏の「オレ流」努力 自分で考えることの必要性

落合氏は高校時代から「無類の研究家だった」

 昔の指導者は、そういう意味では「冷たかった」。「先輩を見て習え!」が主流でしたから。技術は習得するというよりも、体得するという感じで、結局、自分の体を使って実際にできるようにならなければいけないわけです。

 人のプレーを見て、「あのようにグラブを使えば、ゴロが捕れるんだ」とか、「バットをあのように使えば、最短距離に振れるんだ」などのように、自分で感じたことを今度は自分で表現するという作業をしなければなりません。見るのとやるのとでは大違いです。

 自分で実際やると「何か違うんですよね」ということは日常茶飯事です。

 中日ドラゴンズの落合GMの秋田工業高校時代の話を、1学年下で現在は男鹿工業監督の加藤先生にお聞きしたことがあります。加藤先生も豪快なのですが、落合さんはもっと豪快だったみたいですね。

「落合さんは、理にかなっていないことであれば、誰の言うことも聞かなかったな。でも、ベースボールマガジンの8コマのバッティングの分割写真のページは、食い入るように見てたな。落合さん、確かに当時から群を抜いていたが、無類の研究家だったんだよね」

 この話、今の落合さんを想い浮かべると何か想像できますよね。結局、良い選手というのは、必死で考えているんです。本当の技術は、2,3日で身につく単純なものではなく、必死で考え、何万回と繰り返され、体得するものなんです。技術にはゴールがなく、試行錯誤の連続なんです。

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