帰ってきたセットアッパー・DeNA田中健二朗、今季の成長の裏にあるもの

ここまでリーグトップタイの14ホールド、顔つき「変わった」25歳

 登板を待ちわびていた。6月5日。再び1軍に戻ってきた8年目のセットアッパー・田中健二朗は横浜の上空から降る雨を恨めしそうに見ていた。試合前から降り続いた雨により、交流戦の西武戦は5回コールドゲームで3-3と引き分けた。見せ場は訪れなかった。

 開幕から不動のセットアッパーとして、24試合に登板し、1勝0敗1セーブ。巨人のマシソンに並んで、リーグトップタイの14ホールドをマーク。一時は快進撃を続けるベイスターズのブルペンを支えていた。

 しかし、5月25日から出場選手登録を抹消され、2軍で調整。その直前には、成績を残しながらも「自分のボールが投げられていなかった。体が思うように動かなかった」と徐々に調子を落としていることを感じていた。降格を伝えられた時は、素直に受け止めることができた。これまでは1、2軍を行き来することが多かった。いきなりの大役に、気は張っていても体は正直だった。投げるボールにも疲労の色が見え始めた。首脳陣も、10日間で球のキレを戻してくるようにと期待を込めて、ファーム行きを命じていた。

 2軍にいる間、セットアッパーとして「投げ続けられる体作り、練習方法」について学んだ。今まではがむしゃらに投げてきたが、求められている役割をもう1度見つめ直し、シーズンを通じてパフォーマンスを維持しようと考えた。

 まずは体を休めながら、キャッチボール以外は極力ボールを触らないようにした。立場が変わったことも、田中の成長を後押しした。「地に足をつけて、足元を固めていないといけない。すぐに足元をすくわれますから。少し結果が出ると、『よし!いける!』とすぐに思ってしまっていたけど、それではダメだと思った」。抹消となった期間はメンタル面の向上にも効果があったのかもしれない。

 首位争いをする1軍の試合はいやでも気になった。「勝てば嬉しかった」が、「10日で絶対に戻ってやる」という強い思いは持ち続けた。そして11日後、1軍の舞台に戻ってきた。

 初めてプロ野球を見たのは「横浜スタジアム」。ベイスターズの前回優勝は1998年で、田中がまだ小学3年生の頃だ。プロ野球を初めて見た球場で、今度はその姿を多くの子どもやファンに見せる番がやってきた。2007年のセンバツ甲子園では、静岡・常葉菊川高校の一員として全国優勝を果たし、その名をとどろかせた。入団当時は線は細く、やんちゃそうな笑顔が印象的だったが、今の横顔はプロの顔つきに「変わった」とはっきりと感じ取ることができる。

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