新天地で燃える日本ハム・矢野謙次 生かされる巨人での13年
球団の枠を超えて愛される矢野、その裏にあるもの
道産子のハートを鷲づかみするようなヒーローインタビュー。日本ハムに移籍してきた矢野謙次はすぐにチームの一員になった。根っから情熱的な男。「ファイターズ、サイコウ」と札幌ドーム内に割れんばかりの声が響いた。
移籍即、6番・指名打者で出場。前日には栗山監督から「謙次、明日からすぐいくぞ」とスタメン起用を明言され、燃えていた。6打数3安打、猛打賞デビュー。自分の狙いと合致すれば、ファーストストライクから積極的にスイングするスタイルは巨人時代から変わらなかった。
巨人では球団記録となるシーズン代打19安打をマーク。「代打でも先発出場でも準備は変わらない」と相手投手の研究、バッテリーの配球等のデータを頭に常にインプットする。この日は相手が慣れている横浜DeNAの投手たちだったということも3安打につながった。「巨人の経験を生かして、頑張りたい」。この言葉は偽らざる気持ちだろう。
控えが多かったベンチではいつ出番が来てもいいように体を動かした。慕い、尊敬していたチームの先輩・高橋由伸や鈴木尚広ら、控えから結果を出す偉大な選手を間近で見ていた。スタメン出場に強くこだわる時期もあった。「いろんな人から近くで吸収できる」。次第に己の欲だけでなく、チームのために戦うことに誇りを持つようになった。
相手バッテリーの動きもずっと見ていた。自分がその試合で対戦しないであろうピッチャーも、だ。最初はコーチからの「お前なら次は何が来ると思う?」などという言葉から始まった。配球を読む面白さを学び、次第に1人でもやるようになった。その習慣が大事な準備に変わった。2007年5月の交流戦、0-3から左腕・篠原の内角高めのストレートを迷わず振り抜き、代打逆転満塁アーチを放つなど、ここぞの場面に思い切ったスイングができるようになった。
冷静に試合を見る一方で、闘争心はいつも持ち合わせていた。2012年。キャンプ、オープン戦と順調に進み、開幕スタメンが見えてきた矢先の3月。日本で開幕戦を行うために来日していたシアトル・マリナーズとの試合の守備でアクシデントは起きた。フェンスに激突するプレーで左足首を捻挫。1か月以上も出遅れた。