ブラジルで野球人気は広がるか…日系少年野球チームで育ったMLB選手の物語

「日系コミュニティに子供を預ければ、しっかり育つ」…母の決断に感謝するリエンゾ

 昨年、カナダに実在した日系人野球チームを描いた「バンクーバーの朝日」という映画が公開された。1914年に日系人だけで結成されたバンクーバー朝日軍が、その5年後にはインターナショナルリーグ(現3Aリーグ)で優勝を飾ったというストーリー。第1次世界大戦中という激動の時代背景の中、体格では勝てない白人を相手に、守備力と機動力、そして頭を生かした野球で勝利を重ねていく姿が、当時の日系人たちに大きな勇気を与えたという。

 時を同じくして、赤道の反対側に位置するブラジルに、日本からやってきた移民が「野球」という文化を運び入れた。日系移民がコミュニティを築いたサンパウロで、1916年に初めて野球の試合が行われたという。それ以前にイギリスからサッカーという文化が伝えられていただけに、ブラジル人にはなかなか浸透せず。しばらくは「野球=日系人社会のスポーツ」と位置づけられていたそうだ。

 1992年、サンパウロ州アチバイア市にある日系人少年野球チームに、球団史上初めての「ガイジン」選手が入団した。それが、現在マーリンズに所属するブラジル人投手アンドレ・リエンゾの2人の兄だった。当時4歳だったアンドレは、さすがに正式入団とはいかなかったが、兄たちと一緒になってボールを追いかけた。それから5年後、9歳になった時、ようやく正式入団が認められた。

「当時、離婚して間もなかった母が、3人の息子が非行に走らないようにと願って、規律正しい日系人の野球チームに入団させたんだ。元々アチバイアには日系人がたくさん住んでいるし、母自身がソフトボールをプレーしていたこともあって、日系コミュニティに友達も多かった。

 だから、日系コミュニティに息子たちを預ければ、しっかり育つと思ったらしいんだ。こうやってメジャーリーガーとしてプレーできている今となっては、母の決断に大感謝だよ(笑)」

 当時のアチバイア野球クラブは、所属選手がわずか9人になることもあったという。「みんなでポジションをローテーションさせながら、何とか試合をしたんだ。僕もピッチャーのほかに外野も守っていたよ」と懐かしそうに振り返る。

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